パリで活躍する素敵な方々にインタビューし、それぞれの「モンパリ」をお聞きします。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
日仏交流の最前線で  その2、外交の舞台裏、そしてゴーン氏の秘書へ
2006.02
 長年、日本で日欧の国際舞台で活躍してこられた富永さん。パリに居を移し、1年半前からパリ商工会議所で新たに日仏交流に関わる仕事に就かれました。日本でお仕事されていた時代の面白いエピソードとパリでの新生活についてお話をお聞きしました。
富永 典子さん
日本の大学を卒業した後、フランス アンジェにて仏語留学。
帰国後、在日フランス大使館経済部、駐日欧州委員会代表部 (EU)勤務
2001年 日産 カルロス・ゴーン氏の秘書として勤務
2004年 パリ商工会議所国際局日本課で日仏経済交流の仕事に就く
 ■ Interview つづき インタビューのはじめへ
3、 外交の世界では、随分特別な体験をなさったそうですね。
 EUでは当時15カ国で成り立ち、日本の代表部にも加盟各国のスタッフがいるわけですから、毎日の仕事の中でいろいろと学ぶことができました。また面白い経験としては、迎賓館に宿泊できたことなどが挙げられるでしょうか。国賓はほとんど迎賓館にお泊まりになられ、お付の方々も同行なさるわけですが、私もEUの委員長が国賓として来日した際には付き添いの一人として宿泊させていただきました。もちろん、そのときは早朝から深夜まで会議の準備に追われ、ゆっくりすることはできませんでしたが、5分の休憩時間に館内を少し見学することができ、あちらこちらに目に留まる菊のご紋が印象的でした。
EUでは最初は科学・技術、教育関係、その後は儀典課という、主に外交行事に関わる仕事をしていました。

沖縄サミット会場
  EUは外交上一つの国と同じ立場を持っていますので、欧州委員会の委員長は首脳国サミットに出席します。沖縄サミットの折には、私も同行しました。参加各国からは首脳以下、担当大臣、官僚、新聞記者など大勢の団体でやって来ますので、1年間にわたる準備は大変です。宿泊ホテルを含め使用施設周辺、会議場、またホテルと会議場間の往復などの警備体制は厳しく、また沖縄という自然に恵まれた美しい島という特色は警備される方々にとっては大変なご苦労だったのでは、と想像いたします。台風が来た場合の緊急の処置も多く準備されていました。EUの一行は、他の参加国に比べ人数が十数分の一。小さな、美しい村のホテルが割り振られたのですが、我々こじんまりとした家族的な団体を、村を上げて歓迎してくださいました。会議前に頭を冷やしたい、という委員長ご夫妻の誘いで、プールで一緒に泳いだり、(その間も、椰子の木陰からSPに警護されているのも印象的でしたが)、夫人の美容院に同行したり。夫人は、髪のセットのためだけに、警備の同行があるのを大変恐縮しておりました。その年のサミットは夫人が沖縄まで同伴した首脳がEUのプロティ委員長だけだったため、普段は夫人同伴の晩餐会も、当時の森首相の奥様が特別に夫人だけの晩餐会を開いてくださり、場違いながらも、私も同席させていただきました。

4、 そして、2001年、カルロス・ゴーン氏の秘書としてヘッドハントされたのですね。
  ゴーン氏が来日した直後2年は、日産社内の方が秘書をしていらしたそうですが、その後は外部から人を入れたい、ということで、お声をかけていただきました。
しかし、本当は私自身、躊躇しておりました。「企業」というところで働いたことがない、しかも日本の伝統的な企業で。車に関する知識もゼロにちかい。まして、あんな忙しい経営者の秘書として、ついていけるのか?そこで、背中を押してくれたのが夫です。夫は同じフランス人としてゴーン氏の挑戦に注目をしていましたし、「世界で5本の指に入るトップ経営者と一緒に仕事ができるなんて、こんな素晴らしい経験はない、お金を払ってでも修行したいところなのに。」「家のことは分担すればよいからやってみたらいい。」と。家に遅く帰っても、週末出勤しても、全面的に協力してくれ、何一つ不満を聞いたことはありませんでした。(もしかしたらあったのに、口に出さなかったのかもしれませんが)

5、 カルロス・ゴーン氏は、日本ではカリスマ経営者として大人気ですが、富永さんからみたゴーン氏の横顔は?
 経営者としてのゴーン氏はメディアでも登場するように、皆様は良くご存知だと思います。皆がゴーン氏についていくのは、自らが身をもって人の何倍も働くところを周りに見せてくれたからだと思います。全社員とその家族の生活、応援してくださる株主の方々、すべてが肩にかかっているという責任感。人より多く仕事をして当然、との考えで、日産に入りたての頃、秘書室の総務担当から、”ゴーンさんが来てから、社長室とその周りのスタッフの文房具類の消費量が異様に増えた“といわれたのを覚えております。また、集中力継続力には、尋常でないものを感じます。そして1秒刻みで仕事をしているにもかかわらず、細部に対する注意の払い方が素晴らしい。時間を何よりも大切にし、無駄には決して使われない。礼儀正しく、部下にも必ず敬語を使います。他人の時間をも無駄にしないことも含めて、一人ひとりの人間に対してRespectをもって接してられることは、日々の接触の中で最も感銘を受けた一つかもしれません。一方、大変な家族思いで、仕事以外のできるだけの時間は家族のために、費やしていたようです。
メディアの前では、経営者としてパワフルに話され、最初はコストキラーというあだ名さえあったようですが、「Reserve(恥ずかしがり屋という、日本語とも少し違いますが)で、家族に目がないパパ」という普通の面を垣間見ると、暖かい人間性に触れたようで、ますます尊敬の念が沸き起こります。
当時は、ゴーン氏のペースについていくのに必死で、車のことを一から勉強し、周りの人々に多く助けられ、毎日があっという間に過ぎておりました。自分のペースで仕事を管理クリエイトする立場になって初めて、「あの時のゴーンさんの一言はこういう意味だったのか」「ゴーンさんはここまで追及した返事を本当は期待していたのかもしれない」など、と今更気が付くことが山のようにあります。ありがたい教えをいろいろといただいたのだな、と感謝の念に絶えません。

その3 パリでの新生活について
インタビューのはじめへ

【net nihon.S.A.R.L】
Copyright (c) NET NIHON.All Rights Reserved
info@mon-paris.info