ヌイイーに住むことが決まった時ちょっとがっかりしたのは事実である。しかもアパートは1960年代に建てられた新建築だという。「もっとパリ、に住みたい」。その昔6年間を過した16区の街並みが目に浮かんだ。
パリとはどこか・・・と問われると私にははっきりと答えることができない。そして誰がパリジャン(パリジェンヌ)かと問われるとそれもまた・・・・。
パリ市は少しひしゃげた円形をしている。円形はペリフェリックという環状自動車道に囲まれている。円形のほぼ中央にルーブル宮(美術館)があり、その周辺を第1区として、その北側に位置する2区から右回りに3区、4区と続く。2周半して最後が東端の20区、まるでかたつむりの殻だ。セーヌ川はルーブルの南側を東から西へと流れるが、正確には円形の東南(12―13区境)からパリ市に入り、西南(15―16区境)でパリ市を出るのだからいわばへの字を逆さに書くような形になっている。そして、その流れに合わせて、北側を「右岸」と呼び、南側を「左岸」と呼ぶ。
北の郊外にあるシャルルドゴール空港に着いて、車に乗り、高速道路からペリフェリックに入ると、私はなんだかむずむずしてくる。空港はどこの国もまあ似たようなものだし、高速道路の周囲の緑草地帯もさほど変化はない。しかしペリフェリックを走れば、内側に広がるのは私の大好きなパリなのだ。ロンドン、ニューヨーク、ジュネーブ、ミラノ、東京、大阪・・・といわゆる「世界の大都市」をいくつか見てきたが、これほどまでに完成された美しい街並みを私は他に知らない。7−8階に統一された(窓の高さ、屋根の高さがほぼ同じである)石造りの建物、彫刻が施された壁面、鉄枠にガラスをはめこんだ、あるいは深い緑や深紅に塗られた重々しい扉、窓やテラスの鉄製の手すり・・・全体に配色をおさえた屋並は街路樹の緑と調和して目を疲れさせることがない。散歩しながら周りを見回すだけでもその美しさは十分に堪能できる。
シャンゼリゼやオペラ座周辺の繁華街は店舗に気をとられてあまり建物を見上げることもないかもしれないが、その美しさは実は健在だ。まして7区、16区のようないわゆる高級住宅地を控えた地域を散策すれば「街ごと美術館」と言われる所以にも納得がいく。そして1−2キロも歩けば必ずぶつかる小さな公園。緑色のベンチ。子どもたち、恋人たち、お年寄り・・・。日曜画家は「どこでも絵になる」と言う。
ナポレオン三世の帝政下、パリの知事であったオスマン男爵は内乱を避けるために道幅を広げるなどさまざまな工夫をこらしてパリを作り上げたらしいが、19世紀末以降、急速に発達する「旅行ブーム」を鋭く感じ取って「世界一の都」を作り上げたのではないかとも思ってみたりする。しかし、美しさを言葉で表現するのはとても難しい。そこで月並みではあるけれど「百聞は一見にしかず」。とにかく自分の足で歩いて、パリの持つ雰囲気を味わうことをお勧めする。
フランス人は、1860年に作り上げられたパリ市(20区)と周囲を取り囲む20余りの市(市とはいえ、大きさはパリの区よりも小さいくらいだ。私が今住んでいるヌイイーシュールセーヌもこれらの市の1つ)と東西にヴァンセンヌ、ブーローニュの森、そしてさらに北西に地図上では風船のように丸く浮かぶデファンス地区あたりまでをひっくるめて「パリ」と呼ぶ。そしてそこに暮らす人々は国籍がなんであろうと、パリ人(パリジャン・パリジェンヌ)と呼ばれる。
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