パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第2回 星 2002.12 エッセイ・リストbacknext
 公共の施設や道の名称などに自国の歴史上の人物の名前を拝借する、というのは欧米では珍しくない。日本にはこの慣習がほとんどないので、私たちは歴史の教科書や小説などから過去の人物の名前を学ぶだけで、それゆえ、覚えるのも大変だが・・・。
パリの街にも、ご多分に洩れず、数多くの人名が登場する。中には一回のみならず、何回も登場する人物もあるが、これはフランス人にとっての人気のバロメーターと言えるかもしれない。また、時の政府の意向によって、さまざまな人名が入れ替わり立ち代わり選ばれることもあり、おもしろい。

 日本人観光客にとって一番縁があるのは飛行場だが、現在、フランスの国際空港として一番大きいのが、パリ市の北30km、ロアッシーにある≪シャルルドゴール空港≫である。シャルルドゴールとは、1959年から10年間大統領を務めたシャルル・ドゥ・ゴール将軍のことである。凱旋門のある広場や、パリ市とデファンス地区を結ぶ大通り(シャンゼリゼの延長線上)にも彼の名前が採用されている。そんなところからも、ドゴール人気の大きさが解るというものだ。第二次世界大戦前から信念をもって祖国と人々のために行動してきた人、フランスの政治家として、最も尊敬され、愛された人である。そして外国人の私から見ると、最もフランス人らしい人のような気がする。第二次大戦後の米ソという両極体制を嫌い、ヨーロッパ、ことにフランスの地位を確立するという自信の表れがとてもフランス的だと思う。

ところが、生活をしていて面白いのは、凱旋門の広場のことを誰も≪シャルルドゴール広場≫とは呼ばないことだ。もっぱら≪エトワール広場≫。メトロ(地下鉄)の駅でも、地図でも名前は併記されている。これはもちろん、その昔、この広場に凱旋門もなく、道がまだ5本(現在は12本)しか出ていなかった1700年代最後のころから≪エトワール≫と呼ばれていたからである。
≪シャルルドゴール≫とつけられて何年もたつというのに、今でも昔の名称を使うところがとてもフランス人らしい(と私は思う)。この国の人たちは日本人が想像する以上に保守的なのだ。よく言えば伝統を大切にする、悪く言えば、案外頭が固い、ということか・・・。とにかく古い地名をどんどんなくして、簡単に≪美しが丘≫なんて住所をつけてしまう日本人と大きく違うことだけは確か。

それではまた、なぜ、この広場が≪エトワール≫なのか?
その答えは凱旋門の上に上がれば一目瞭然、広場の石畳が星(フランス語でエトワール)の形に描かれているからである。下を歩くだけではちょっと気がつかない、俯瞰の意匠とは、さすがフランス人。することが粋ではないか!さらに、放射状に出る12本の道はなだらかに下りながら伸びる。そう、この広場は周囲360度を見下ろす位置にあるのだ。
凱旋門を作らせる命令を出したナポレオンは、生きて、この門を凱旋することはかなわなかったが、その後、第一次世界大戦の軍隊が凱旋し、無名戦士の墓もでき、記念の火も燃え続ける。さまざまな記念日にはアーチの下で大きな三色旗(青・白・赤のフランス国旗)がはためくが、グレーの石とのコントラストの美しさにしばし見とれてしまう。
コンコルド広場の方からシャンゼリゼ大通りの並木を左右に、凱旋門を中央に据えた絵葉書を見た方も多いと思う。まさに、パリを代表する風景の1つだ。でも、私はフォッシュの通りから眺めるのが好き。「見返り美人」じゃないけれど、斜め後ろ姿の凱旋門が、一番素敵だと思う。

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