「パリは世界一の都だ。ただしフランス人がいなければ」というのは、よく言われることだが、本当にパリからパリ人がいなくなったら、それはもはやパリではない、と私は思う。だから、極端に言えば、8月のパリは魅力に欠ける。車の数が減るのは歓迎するが、「夏期休暇」の張り紙の並ぶ商店街は淋しい。ボレ(雨戸)を下ろしたままのアパルトマン。どんなに天気がよくてもそぞろ歩きのパリ人はほとんどいなくて、活躍するのは空き巣だけ。観光スポットを除けば、まるで冬眠に入ってしまったような街になる。パリ人がいるからこそ、人々の生活があるからこそ、街は生きているし、輝いているのだ。
パリの朝は早い。街頭マルシェ(市場)は8時頃から始まるし、普通のお店も9時頃にはシャッターを開ける。パン屋の店先では朝一番のバゲットがいい香りを放っている。そう言えば、子供たちが小さかった頃、エコール(幼稚園)に送った足で焼き立てのクロワッサンを頬張ったこともあったっけ・・・。街角のカフェでコーヒーとバゲットの朝食をとってから職場に急ぐ独身たちも珍しくない。
パリの朝は美しい。特に冬の朝、まだ夜が明けきらず街灯がうすぼんやりとつく中で、ローデンのコートをなびかせて走る人を見たりすると、映画のシーンかと思えてくる。
清掃局のごみ収集車がやってくるのも早朝だ(東京の我が家では、時間が定まらないばかりか昼過ぎまで収集にこない日も多く、いつも腹を立てている!)。万国共通、かどうか知らないけど、あの独特のごみを詰め込む音。そしてその後、アパルトマンのギャルディアン(管理人)がタイヤ付きの大きなゴミ箱をがらがらと引きながらカーブ(地下室)へしまう音。清掃局の職員が大きなほうきで歩道の溝を刷き流して歩く音。判を押したように毎日同じ時刻に繰り返されるこれらの朝の気配が、私は大好きだ。
「日本人はまじめだけど、外人は働かない」と、いわゆるステレオタイプの国民性に疑問を感じるのもこんな時。要は、どこの国でも働く人は働く、のである。
何年か前に日本から旅行でパリにやって来て、ひと夏、シャンゼリゼの友人のアパルトマンに住んだことがある。夏のシャンゼリゼは観光客であふれ、まるで新宿のようで少しがっかりした。夜中すぎまで人々は騒ぎ、広い歩道にはマックやハーゲンダーツの空き箱が散乱していた。
次の日、朝食のパンを買いに出て驚いた。広い歩道の上に清掃局の大きな散水車が陣取って、夜中のごみはきれいさっぱり跡形もない。ピンクがかった歩道の石の打ち水に朝日がきらきら光っていた。
「観光都市パリ」の意地が見えた。小気味いいほどのプロ根性。
旅の醍醐味はいろいろある。そこで、乱暴にくくれば、自分の日常を離れ、何か、いつもとは違う体験をすることだと思うのだが、「そこ」に行き、「そこ」を肌で感じ、「そこ」に興味が持てれば、旅の目的の半分は達成するのではないだろうか。
パリでは是非「人」も見て欲しい。
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