パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第34回  駅(その1) 2006.10エッセイ・リストbacknext

新幹線のぞみ
 来年90歳になる父が、国鉄(日本国有鉄道、現在のJR)の技師だったということもあり、子どもの頃から鉄道という乗り物にはちょっと特別の愛着があった。
 私が子どもの頃、国鉄は、山手線や中央線など、東京でこそ都内をも走る交通手段だったが、日常の電車は私鉄などの短い(それゆえ速度も遅い)線がほとんどで、地方都市に至っては、せいぜいが路面電車だったのであろう、私には余計に「国鉄」「鉄道」という言葉が意味深く感じられた。
 もちろん、それは、私の思い込みにすぎないかもしれない。「鉄道」から勝手に「遠くへ行く」というイメージをふくらませていたのだから。でも、東北地方から集団就職で上野駅に到着する、中学を卒業したばかりの15歳の少年少女のことが新聞で報道される時代でもあった。それは本当は「金の卵」と称された、高度成長の始まりを伝える記事だったのかもしれないが、私には、「親元を離れて遠い都会で・・・」というところだけが印象に残った。
 小学生の時、父が新幹線敷設のために名古屋に転勤となった。東京に里帰りする母に連れられて東海道線に乗ることもたまにあったが、6時間近い行程はただただ長く、お弁当の鯛めしとまんが雑誌だけを楽しみに私は遠い東京へと向かった。そして「世界一速い」と聞かされていた新幹線に友達の誰よりも早く乗れた時は本当に晴れがましい誇らしい気持ちを持った。まだ、誰も彼もがあちらこちら遠距離を自由気ままに移動する時代ではなかった。

  フランスという国も、やはり、鉄道の技術が非常に高度であり、日本と張り合って高速鉄道の開発が進んでいる、ということ知った高校生の頃、フランス語を習い始め、フランスのことが好きになり始めていた私にとって、それはまた二重の喜びとなった。そして、TGV(SNCF=フランス国有鉄道の高速鉄道)が、日本の新幹線を抜いて世界最速記録を出した時は、悔しいようなうれしいような……私の中ではとても楽しい「話題」となった。「でもね、日本の新幹線は、山手線みたいに一時間に何本も走って、すごくたくさんの乗客をあちらこちらへ運ぶのよ」などと、自分に言い聞かせながら。
 ユーロトンネル(英仏海峡海底トンネル)が出来、パリ―ロンドンが鉄道でつながれた時も、なんとなくワクワクし、東京―大阪のような感覚でいとも簡単にユーロスター(フランス、イギリス、ベルギー共同開発の国際高速列車)に乗るようになったが、実は、フランスからイギリスという異国へ行くわけで、当然パスポートチェックもある。両国の税関は5メートルと離れていない。その、5メートルの間の、ある地点から突然フランス語から英語へと世界が変わり、似たような、でもどことなく異なったブースの中の、似たような制服を着たそれぞれの税官吏が、全くといってもいいほど違う態度(どちらがにこやかか、つっけんどんか、厳しいか、いい加減か……ご想像にお任せしますが)で旅客に接しているのにも、いつの間にか慣れっこになってしまった。

 フランスの鉄道の歴史は1800年代初頭に遡る。当初は石炭運搬のために敷設されたようで、地域もドイツとの国境に近いあたりだったようだ。1830年代になると、「人間」を運ぶ目的のために鉄道会社が創設され、まずサン=テティエンヌ、リヨン間を人々が行き来するようになった。蒸気機関車が時速100kmを達成した1835年、パリにも最初の鉄道会社が出来、サン=ジェルマン=アン=レィとの間に線路が敷設される。線路ができればプラットホームが必要となり、37年にパリのユーロップ広場に初めて「駅」なるものが登場した。サン=ラザール駅の誕生である。
 現在のサン=ラザール駅はその後数十年の間に増改築されたものだが、それでも駅舎としては一番古いらしい。プランタン(パリの老舗デパートの一つ)の裏側、地図上では斜め上(北)に位置する駅で、一日の乗降客は、もちろんメトロや近郊列車を混ぜてではあるが、数十万人を数え、フランス一の大ターミナルステーションである。もっとも、その数は2百万人以上もの旅客を呑み込んでは吐き出す東京駅や新宿駅にははるか及ばない。
(次号に続く)

TGV

オレンジ色のユーロスター

ユーロスター 税関への入り口

サン=ラザール駅 古い絵葉書
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