パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第41回
絵(その2)
2007.10
エッセイ・リスト
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10数年前のことだが、日本から一歩たりとも外に出なかった8年間を経て、久しぶりにパリの地を訪れた夏のことだった。めまぐるしく変化する東京の街並みや交通網に右往左往しつつも、どっぷりとその世界に浸かっていた私だったから、最初は'知らない'パリにとまどうのではないか、とちょっぴりびくびくしながら街に繰り出した。
8年の間に出現した、ルーブルの中庭のガラスのピラミッドが、案外違和感なく納まっていることに安堵しつつ、テュイルリーを散歩した。そして9年振りのパリが、なんら変わっていない(当たり前、1860年からほとんど変わっていないのだから!)ことを本当に心の底から嬉しく思った。
私がこの街に対して求めているのは、この「変わらない」空間なのかもしれない。すべてが無常の世の中であればこそ、どんなに長生きしても100年くらいしかない私たちに与えられた時の、その中のほんの一瞬を、不変のものの中に置くことによって、なんとなく折り合いをつけている……などと、妙に哲学的!?に考えたりもした。
もっとも、これは、ちょっとパリを「持ち上げすぎ」で、建物だって、ホントは変化するのだ。現に、1860年のパリだって、それ以前のものを適度に壊して作り上げたものでもある。ユベール・ロベール(1733−1808)が廃墟の絵をたくさん描いているが、確かに何千年という単位になったら、残念ながらよく分からない。パリがとわにこの美しい都のままであるように、と希望するのみ。少なくとも、地震とか台風とか、自然の脅威にさらされることの少ないこの街は安泰だ、などと思いながら、ぶらぶら散歩していた。
テュイルリー公園からコンコルド広場に出て横断歩道を渡りながら、ふと見やったマドレーヌ寺院が、夕昏のひと時、淡いピンクにかすんでいる。「ああ、きれい」と思った。でも、その次に、何か腑に落ちないものを感じた。私の中で醸造されていたマドレーヌ遠景ではないことを動物的な勘が捉えた。
夕日だけであんなにかすむ??
ホテルクリヨンのほうへ歩いていた私だったが、もういちど回れ右。そして、ロワイヤル通りに入り、ゆっくりマドレーヌ寺院を眺めた。絵だった。寺院の正面がそっくりそのまま、すべてだまし絵で覆われていたのだ。
「沽券に関わる」といわんばかりの、マドレーヌ寺院の、マドレーヌ寺院たる正面の姿に、私は感動した。
廃墟ルーブル
エルメス工事
あの時以来、私は、「工事現場もパリなら楽し」と思っている。有名ホテルや老舗の本店ビルなどの工事現場を覆う壁は、工夫を凝らした意匠であったり、またそのものズバリであったり、競い合うかのごとく素晴らしい壁面を作り上げる。ルネッサンスのころからトロンプルイユ(だまし絵)が好きな人たちだから、「遠目には、そのまんま」というのはおてのもの。得意中の得意というわけだ。
最近も、コンコルド広場の海軍参謀本部がなにやら薄いベールのようなもので覆われているように見えたので、「ああ、また洗浄だわね。それにしてもあんな薄いレースのようなカバーとは、お役所だから経費節減かしら…あれじゃ、粉が舞い散るじゃないの」などと、勝手にいろいろ決めつけていたが、もしやと思い近づくと、やはり、それもまた、しっかりしたパネルに、さも、建物が透けて見えているように描かれた、覆いだった。きれいに並ぶ窓の中には中開きになっているところまである。さすが。
ジョルジュサンク・ホテルに宿泊中の知人をたずねた時のことだ。私は、シャンゼリゼ通りのルイ・ヴィトン――ここも、数年前の工事中にはその壁面に度肝を抜かれた――の所から、ジョルジュサンク通りに入った。いつもと同じように、ヴィトンのウインドーをちらちらと横目で眺め、さりげなく、商品をチェックして、それから、前方を見た。
突然めまいがした、(ような気がした)。
何? 立ちくらみ…… 私は、一瞬立ち止まって、もう一度まばたきをしてみた。
いや、そうではない。正面の建物がまるで、飴のようにうねっていたのだ。うーーーん、ここまでやるか!
脱帽。
海軍参謀本部
ぐにゃり
筆者プロフィール
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