もう、かれこれ5−6年になるだろうか、夏の一時期、セーヌの河岸がにわか浜辺になってしまうのは。
最初にこの話を聞いた時は、その「お手軽さ」に少し呆れた。いくら、夏休みに海岸まで行くことができないからといって、そんな小さな砂場に誰が集まるのよ、と。こんなイミテーション、パリっ子が有難がるはずないじゃないの、と。やや批判的にその話を聞いていただけだった。
地中海の砂浜のパラソルやビーチデッキのかっこよさを知っている身としては、どうしても、「自動車道に砂を撒き・・・」などという考えそのものが許せない。
セーヌの川ももちろんいいが、紺碧の海の水とは、悪いけれど、比較にならない。
まして、波打ち際があるわけじゃなし、ビーチデッキだって、いくつも並ばないでしょう?だいたい、町中で水着になろうなんて人がいるのかしら・・・。観光地のど真ん中にある奇妙な似非海岸など、想像もしたくなかった。
だから、実際には、いつ、どこで、どんな風に《パリ・プラージュ》が展開されているのか、まったく興味もなかった。
7月の末、たまたま、市庁舎の一角で開催されていた《グレース・ケリー展》を訪れた。
グレース・ケリー、という元女優で、モナコのレーニエ大公と結婚したアメリカ女性のことを、私はかろうじて知っている年代である。実際に映画を見たことはなかったが、まさにシンデレラストーリーを地で行った半生であることは子供の頃から認識していた。
そして、彼女が自分の末娘の運転する車の事故のために、地中海沿岸でその一生を終えたのは、以前に私がパリに住んでいた時のことで、近所のキオスクに、新聞(しかも、大衆紙)を買いに走ったのも一つの思い出だが、そんなこともあって、展覧会への興味をそそられた。
展覧会は、期待にたがわず、彼女のイメージを美しく、清らかに、そしてまさに優雅に見せていた。誰もがため息をつきながら、素晴らしいドレスの数々を始めとする遺品や写真に見入っていた。
意外だったのは、どちらかと言えば、年配者の多い見学者に交じって、若いフランス人が熱心に展示を見つめていたことである。シンデレラストーリーはいつの時代も健在のようだ。いや、もしかしたら、まだ皆の記憶にも新しい、ダイアナ元妃のこともあるから、悲劇のお姫様のおとぎ話なのかもしれないが・・・。
市庁舎を後にした私は、セーヌに向かって歩き始めた。グレース・ケリーがアメリカから船で大西洋を渡り、地中海のモナコへと輿入れした時――まるで、アンリWに嫁いだメジチ家のマリィのようではないか!――の、大きく引き伸ばされたモノクロ写真を思い出しながら、私は、この結婚は、第二次世界大戦後の平和な世界の象徴のような出来事だったのではないか、と当時を想像してみた。
そして、川沿いの道を渡り、ゆっくり橋の上までやって来た時、ふと目に入ったのは、青い空にすくっと伸びあがった無駄のない洗練されたデザインの、ライトブルーの旗であった。
青空のブルーにも負けない美しい水色の旗の、吹き流しのような先端といい、軽くうねるような白い心棒といい、それが、何かの目印であることは明らかなのだが、河岸に邪魔にならずに、しかも美しく連なるブルーに、私は単純に大満足で、「こういう美的感覚がフランス人の素晴らしいところなのよねぇ」などと、いつものようにパリ馬鹿を発揮していたのだが、さらに近づいてよーくよーく見てみれば、それは、あの《パリ・プラージュ》の目印以外の何物でもなかった。
こうして、私の「好むと好まざるとに係わらない」パリ・プラージュ見学は始まった。
セーヌ河岸の自動車専用道路は、日曜日は歩行者天国になるらしいが、実はその体験もない。もっぱら、普段、自動車道として利用するのみだった。だから、ひどく新鮮な気持ちで、旗に導かれて歩いて行ったのだが、いつもの無味乾燥とした道とは違い、やはりひとかどの憩いの場となっているのは確かだった。
ドラノエさん(パリ市長)、本当にあなたには感心する!
(次号に続く)
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