都市計画。これは、どこの街にとっても、いつも大きな課題なのだと思うが、フランスでは、脈々と、「伝統を守る都市計画」が続いているのだと思う。為政者が、相当のポリシーを持って行わなければ、どちらかと言えば、人間は破壊するほうが得意なようだから、守ることはとても難しい。しかし、フランスの国王は、いつの時代にも(といっても、時々はダメな王様もいたのだろうけれど)美的センスを大切にし、建造物や景色にこだわっていたことは容易に想像がつく。そうでなければ、ヴォージュ広場だって、ヴェルサイユだって生まれなかったに違いない。
そして、くだんのナポレオン三世。彼とオスマン知事の大改造もまた、美的伝統を守るための一大プロジェクトだった。実際には、それまでの中世の古びた建物を壊して作り上げたパリの街ではあるけれど、それが、真の意味で、フランスが誇る伝統的な美的センスの結晶であったことは疑いようがない。
太い並木道、広場、要所要所の壮麗な建造物、そして景観が最重要とばかりに統一された家並み・・・。だからこそ、現代になっても、それらは、すべて歴史的建造物として、同じように守られ続けることになったのだ。
我が家の子供たちは、パリで生まれた。
幼稚園時代に父親の転勤で日本に戻り、東京での生活が始まったのだが――彼らは、帰国子女ならぬ、入国子女。赤ん坊の頃に休暇で二度ばかり日本へ行きはしたが、記憶は全くなかった――、家の門を出て、道路に一歩踏み出した時、彼らが最初に発した言葉は、「おかぁちゃま、どこを歩けばいいの?」だった。
パリならば、アパルトマンの建物から一歩出たところは、歩道であり、「人は歩道を歩くもの」と刷り込まれていたのだ。歩道の切れ目は、つまり車道だから、幼い時から、「切れ目に来たら立ち止まる」と、まるでパヴロフの犬。
彼らは、歩道のない東京の道にとまどった。車と人と自転車と、そして自販機の入り乱れる東京で、彼らは、私の手を固く握りしめた。
そして彼らは、ため息をつくように、しみじみと言った。
「パリはきれいだったよね」
幼子の口から洩れた老成したせりふに、私も大きく大きくうなずいた。
冬の東京の抜けるような青空や、洗い場があって、泡だらけのからだに思いっきりお湯をかけられるお風呂場は、パリ生活における私の「長年の夢」だったのだけれど、それを差し置いても、パリに飛んで帰りたい・・・という気持ちが勝ったことを思い出す。渋谷の雑踏などは、大人の私にとっても、苦痛だった。
今でも、モンソー公園周辺の広い舗道をゆっくり歩けば、そんな東京での笑えない(笑える?)エピソードを思い出す。
公園の中は、メリーゴーランドも同じだし、冬になっても色のあせない緑の芝生の上のミュッセの真っ白い彫刻も、ピアノを弾くショパンも、子供が何人も手をつながなければぐるりとできないプラタナスの木も、何もかもみんな同じ。池のところの列柱や小さな石を積み上げたピラミッドに至っては、18世紀の名残だし。そして、鉄柵の向こうに見える凱旋門の姿だって・・・。
美しい空間を愛でる為政者は、本当に良いことをしてくれた、と思う。結局のところ、フランスは、伝統を重んじる国なのだ、と心底思う。
そしてパリに生まれ、パリの空気を吸って生きていく人々は、いつの間にか、その伝統を自らのうちに醸造していく・・・。
つくづく、羨ましい。