摂氏30度近い日が続くと、パリのあちらこちらにある噴水の傍には自然と人が集い、場所によっては、それが許されるならば、水に手をつけたり、足をつけたり、勇敢にも飛び込んだり(これは主に犬ですけれど)する。
基本的には、一般家庭に冷房設備は普及していないから、この「涼を求める」姿は、日本で言えば、私の子供時代のものによく似ている。
うだるような暑さの中で、縁側に腰掛けて、上半身裸になって、水にぬらしてきゅっと絞ったタオルを肩からかけ、足をたらいの水に浸す……そんな光景は記憶の中に深く深く刻まれていて、昼下がりの庭先の、木の葉の間から否応なしに降り注ぐギラギラした太陽の光の感覚も鮮やかに目に浮かぶ。
パリのきつい日差しの下にあると、水辺に座り込むパリ人たちの姿を微笑ましく思うと同時に、幼い頃の夏の日々も思い出す。
そして、食べ物といえば、祖母が裏庭の井戸水で冷やしてくれたスイカとか、近所のお蕎麦屋さんだかうなぎ屋さんだかに注文して、出前で届けてもらったかき氷だった。シャリシャリと削られた氷の山のてっぺんを覆う鮮やかな赤いシロップ。この白と赤のシャリシャリ――あわてて食べるとこめかみがキーーーン!――が、牛乳という動物性食品から出来上がった冷たいアイスクリームよりもずっとずっと暑気払いになったことを、何十年たっても私の舌は覚えている(もっとも、“ソフトクリーム”の存在は、またひとつ特別の思いがあるけれど)。
あの、まさにのどを潤す冷たい水分の美味しさやありがたさのことは、パリではさほど思い出さないから、その意味では、この地の暑さなどまだまだ序の口だけれど。
それでも、暑い! というのだろうか、7月のある日、道端のヴァラス給水泉の、まっすぐに落ちる水の下で、一羽のハトが水浴びをしていた。まるで、行水を使うかのように。
パリの街中には、噴水がたくさんある。
あまりにたくさんあるから、すっかり景色になじんでしまっていて、さほど感激もしないのだが、それでも、いくつかの美しい彫刻や立派な噴水口、すがすがしい水の流れにはふと目が止まる。豪快にあふれ出る水も悪くない。ザーザーという大きな音は、滝つぼを思い出させる、と言ったらほめすぎだろうか・・・。
豪快さで一番といえば、トロカデロ庭園の噴水である。この噴水が全開し(省エネなのか、いつも放水しているとは限らない)、砲台から、それこそ鉄砲水が、ドドーーンと噴射される場面に出くわすと、なんだか少し得したような気分にもなる。
トロカデロは細長い16区の、上(北)から三分の一の所に位置する広場だ。この辺りは、「シャイヨの丘」と称され、セーヌ川のほとりにありながら小高くせりあがった美しい土地となっている。
17世紀、この辺りがまだパリの城壁の外側だった時代に、その美しい小山に修道院が建てられた。18世紀末に起きた革命でその修道院は破壊され、ぽっこりと空間ができてしまったが、この土地の魅力にはその後の為政者たちも抗えない。誰もが「この丘に何か作りたい」と思い、さまざまな計画が立てられたが、時代の荒波にもまれたせいか、いずれも実現はしなかった。
その後、19世紀半ば、世界は万国博覧会の時代に突入する。
1851年にロンドンで世界初の「万国博覧会」が始まると、フランスは、国の威信をかけて万博を開催する。1855年を皮切りに、67年、78年、89年、1900年……。ロンドンに負けじと大きな会場スペースをとり、盛大な博覧会を催すようになるのだ。
《トロカデロ宮》なる、なんともいわく言い難い(はっきり言えば、趣味の悪い!)建物がこの修道院跡地に建てられたのが1878年万博。しかし、その後、1939年の万博の折りにそれを壊し、現在のぐっと洗練されたネオクラシックの《シャイヨ宮》が建てられた。
庭園を包み込むように弧を描いて設計された、対をなす建物のテラスからは、「エッフェル塔が一番美しく見える」と言われ、いつも大勢の観光客がカメラを手にたたずむが、川に向かって下る斜面を利用して壮大な噴水が作られたのも、この時のことである。 (次号に続く)