パリで活躍する素敵な方々にインタビューし、それぞれの「モンパリ」をお聞きします。
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
「エール・フランスパイロット
松下涼太さんに訊く」
2005.01
団塊の世代といわれる戦後生まれの人達が競争の激しい日本から海外に雄飛して30年近く経ち、こちらで育った二世たちが現在活躍するようになっています。
今回はそういう人の一人、空を天がけることに夢を賭け22歳でエール・フランスのパイロットに合格した松下涼太さん(現在26歳)にお話しを伺いました 。
松下涼太(まつした りょうた)
1978年4月29日パリに生まれ。フランスの公立高校Lycee Chaptal(リセ シャプタル)15区の理数系に進む。17歳でパイロット免許取得。22歳からエール・フランスパイロット
■ Interview
「涼太さん、パイロットになろうとしたきっかけをお聞かせください。」
小さいときからラジコンの飛行機が大好きでよく買ってもらって飛ばしていたんです。そのときからいつか飛行士になりたいとおもいました。また両親と日本へ往復しておりましたので実物の飛行機にも馴染みがあったわけです。高校も理数系に進んで暇さえあれば飛行機に乗っていました。
「御両親の理解があったのですね。」
ええ、両親には感謝しています。親は初め医者にとか思っていたようですがとにかく僕が飛行機のことしか考えてなかったので、車であちらの飛行場、こちらの訓練場と送り迎えしてくれました。費用も馬鹿にならなかったと思いますが僕がパイロットになりたい一心で頑張っているのを見て何も言わず応援してくれました。日本では乗馬とか飛行機操縦というのは特別な人達の趣味、という風に考えられていますがこちらでは別に特別なことではないのでそういう意味でもやりやすかったです。免許の最少年齢である17歳の誕生日に取得しました。
「すごいですね。こちらもマッハのスピードですね。18歳のときのコンペでは大活躍だったとか。」
(全仏航空連盟が主催する17−21歳の年少パイロットを対象とする国を挙げてのコンペティションで空軍が後援し軍用機大手のダッソー社以下多社が支援するもの)
14日間の飛行で10日間一位だったんです。その日その日に与えられた地図の指示通りに飛ぶのですが結構無駄なく正確に飛んだようです。最後はストレスと緊張で順位は落ちてしまいましたが10日間の成績が良かったのでダッソー社がご褒美にミラージュ(戦闘爆撃機)に乗せてくれて、そのときは興奮しました。
コンクールでの成績のご褒美、ダッソー社のミラージュに乗せてもらう18歳のヒコーキ野郎
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vol.1 パリは私を放っておいてくれる街 平沢淑子さん
vol.2 パリのエネルギー源は人間関係 芳野まいさん
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