ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

第十六話
Rue de la Ville en Bois (ヴィル・アン・ボワ
= 樹の街通り)を塗り替える、季節の絵の具
**終編 =  後編から続く** 

2007.01
エッセイ・リストbacknext
*** 茫洋と、春を待つ ***
人間が、夏向きに出来上がっている私にとっては、ほとんどinterminable(終わりのない)か?と思われる、ヨーロッパの冬を越すのは至難の技である。どうにも生きられないのだ。頭の芯までフリーズ・ドライになってしまいそうな乾燥した冷気は、私を冬のミイラと化し、思考回路さえ、凍結する。路面が凍って、通行不能となり、陸の孤島になってしまう地域のような状態である。そして、気温が零下になると、万事休す!何も出来ない。外には出られない。inutilisable(使い物にならない)! 暖房の効いた屋内でも、冷たさは絶えず私を攻略し、そこらじゅうに横たわっている寒さと戦うだけで、四六時中、体力を消耗する。それでも、大西洋に近いNantes(ナント)の冬は、海が空気を和らげてくれるから、大分、温暖だそうである。

確かに、ある年の3月初頭、Niort(ニオール)という所(Deux Sevre 県の県庁)にフラメンコを教えに行ったら、たった1泊で、足首の皮膚がパリパリにはじけてしまった。ナントより、緯度にして1度ほども南に位置しているのに、内陸だから、もっと寒くて乾燥していたのだろう。はじけた皮膚に、シャワーのお湯が染み込み、細く血が出ていた。かなり痛い。「この痛さが、大陸だ!」と、実感。ということは、ナントの冬は、充分に、climat tempereに属していることになる。ナントでは、寒さで皮膚がはじけてしまうことはなど、なかったのだから・・・。太平洋側の日本の場合、夏の猛暑のほうが、冬の寒さよりずっと重大な懸案だから、より大きな問題に順応した皮膚や汗腺を、創造の神は造り給うたのだろう。で、暑さを、どんどん逃がす構造になっている私の皮膚は、大陸の寒さのなかでは、自分の体が作りうる人間的温度さえ、維持できないようである。断熱材の入っていない家のようなものである。だから、やたらに寒いのに、フランス人には、哀しくなるほど理解されない。実際、冬でもフランス人と握手すると、驚くほど温かい手をしているのに、私の場合、自分の手が氷のように冷たいので、まずそれを相手に予告してから(相手が、飛び上がらないように)握手している。夫が使ったばかりのリモコンやマウスも、「エッ、ウッソー!」というほど、よく温まっている。きっと、伝導・維持率の高い熱を生産できる体なのだろう。(体温も、肉厚なのだ。)結局、彼らは、この大陸的な気候によく順応し、冬の間も、自分の熱を逃がさず、結構ポカポカしているのかも知れない。だから、お風呂で温まろう、という習慣・文化も生まれなかったのだろう。それに何故か、私達の好きな、熱いお風呂には、熱すぎて入れないらしい。このへんは、猫舌の人や、よーく冷えた飲み物を飲めない人が多いことにも通ずる肉体的特徴かも知れない。(第14話 《Rue de la Ville en Bois (ヴィル・アン・ボワ = 樹の街通り)を塗り替える、季節の絵の具》中編 参照)


そんな個人的分析を、理屈の粘土を捏ねるように、捏ねては潰しているうちに、寒さが少しだけ緩み、日中はプラスの温度になってきた。そして雪は溶け、重さのある白は気配を消した。ちょっと暖かくなると、すぐに湿り気が出てくるのが、ナントの大気である。日本の湿り気とは異なり、乾燥した気候の中での、さらりとした湿り気である。このあっさりとした湿度は、大西洋から漂ってくるものらしい。日本の天然塩(瀬戸内海や、沖縄で採れる塩)と、大西洋のSel biologique (有機塩: ナントからも近い、Guerande = ゲランドや、Ile de Noirmoutier = ノワールムティエ島の塩)も味が違うのは、海水の構成成分だけでなく、大洋が醸し出す湿り気の違いからも来るのではないだろうか?地中海の塩(シチリア島の天然塩,etc.)も、また一味違う。世界中の海が、異なる気候の中で、それぞれに味わいのある塩を育んでくれている。

そして、La Loire(ロワール川)は、満潮時、大西洋の海の香(か)を乗せて、ゆっくりとナントまで遡(さかのぼ)ってくる。大潮の日には、ナントの街中にいても、鼻の奥に、幽かな海が聞こえる。私は、海の匂いが好きだから、そういう時は、もっと深く吸い込んでみる。すると、もう少し海が広がる。でも、それ以上吸い込むと、微細な海は消えてしまう。それくらい、繊細な海粒なのだろう。だから、もう1度、薄く、細長く吸ってみる。すると、雲母のようにfragil(壊れやすい)な、海の鱗片が、目の前に何枚も重なっていく。落花の桜や、積もる落ち葉のように、何枚も何枚も、重なっていく。青く光る鱗片は、重なる度に滴(しずく)となり、滴は、互いの滴を飲み込み、飲み込まれ、軽やかな波となっていく。波と波は、出会い、反発し、弾け、砕けて、白い泡となり、さわさわと囁きながら歌い、笑いながら崩れる。そして、薄い鱗片に戻っていく。青い鱗片は、また重なり、滴となり、波となる。その碧い動きを追っているうちに、空気の中の微細な海を吸い込んだ筈なのに、しだいに大きくうねっていく海に、いつの間にか飲み込まれてしまった自分に気がつく。こんな風に、空気が青い日、ナントの大気は湿っている。

青い湿度の中で過ぎた何日かは、遠い追憶の中の水平線のように、ふうわりと空色だった。その、やわらかい、つかみどころのなさが、硬質な寒気から私を救った。そして、とある明け方、空気の中に漂う、さらに確かな湿り気に、またしても、冬眠中のクマのように鼻をくすぐられ、目を開けてみる。と、街路灯の明かりが、空気の中の水の分子を照らし出しているように、ボーっと、暈(ぼか)し絵風に浮かび上がっていた。不思議な雰囲気に誘われるように起き上がってみると、朝靄がたちこめている。靄というのは、ぼんやりと浮遊しているようだが、案外、密度の高いものらしい。だから、すぐ近くが見えなくなるほど、大気中に充満できるのだろう。朝靄の厚みが、遠くを隠し、近くをぼやかし、夢のようにぼんやりした輪郭の中に、黒く緑のポプラが茫洋と存在している。その茫洋さの中に、1年前の冬の朝靄の情景(第12話 《Rue de la Ville en Bois (ヴィル・アン・ボワ = 樹の街通り)を塗り替える、季節の絵の具》序編)が、さらに茫洋と浮かび上がってきた。あの日は、冬のヨーロッパの結晶が、しんしんと伸びていく金属的な音を聞いたような気がして、冬という季節が刻む秒針かと思った。が、今日の靄は、もっと茫洋としている。空気に浮遊するミクロンの水滴が、しっとりと柔らかく、前回の、無機的な寒気と比べると、かなり有機的な感じである。ちょっと絞ったら、空色の水が滴り落ちそうな、たっぷりと湿った空気。もしかすると、去年より、春に近い朝靄なのかもしれない。

春は近いのだろうか?冬眠中のクマなら、毎年の春の訪れも、ちゃんと知っているのだろう。冬眠から醒める筈のクマが寝過ごした、などという話は聞いたことがないから、彼らは、起きるべき時期を、察知できるバイオ時計を持っているに違いない。しばらく、薄綿のちぎり絵のような靄を眺めながら、コーヒーでも沸かそうかと思ったが、まだ暗い。台所もひんやりと静まり返っているし、ステンレスのCafetiere(キャフェティエール)に触るのも冷たいし、…。もう1度、ベッドに戻ることにした。クマだって、まだ、もう少し眠っていたいだろう。空色の夢は、さっきの続きから始まってくれるだろうか? 追憶の彼方に滲んだ水平線の丸さが、蜃気楼のように碧く浮かび上がってくる頃、春はもう、そこまで来ているのかも知れない。この茫洋さゆえに、『春眠暁を覚えず』なのだろうか?

雪融けの尖り屋根。気温が零℃を回復した日、
まだ遠い春の到来を、ちょっと信じられる日。。


陽があたり、雪が急速に融けていく。
大気が緩み、地面も水っぽい 。



靄の中に、沈む教会。尖り屋根は、全く見えない。


薄い靄の中に佇む、白壁の館。遠景の木立が、 透かし模様の入った便箋のようなデザインを創っている。


靄の湿り気の中に、ポプラが佇む。



ノワールムティエの塩(セル・ファン)
モンパリお買物倶楽部で好評発売中


とりあえず、いい匂いのする春が来るまで、もう一眠り!

ロワールを 遡(のぼ)る海粒(うみつぶ) 陽(ひ)に踊り
波の泡面(あわも)は 春を囁く
カモメ 詠


( janvier 2007 bis)

Melinette(メリネット)街へのアク セス
- Paris - Monparnasse(パリ - モンパルナス)駅から、TGV Atlantique = Le Croisic(ル・クロワジック)方面に乗り、Nantes(ナント)下車(約2時間)。
- ナント駅北口から、Tramway(トラムウェイ)の1番線に乗って、3つめのPlace du Commerce(コマース広場)下車。ここは、バスターミナルになっている。
- バスは、以下のいずれかに乗れば、10〜15分で、Place Melinette(メリネット広場)に到着する。
No. 11 Mendes FRANCE - Bellevue(メンデス・フランス - ベルビュー)方面
No. 21 Gare de CHANTENAY(シャントネイ駅)方面
No. 23 Mendes FRANCE - Bellevue(メンデス・フランス - ベルビュー)方面
No. 24 Preux(プルー)方面
- メリネット広場から、放射状に広がる道の一つ = Rue Richer(リシェー通り)に入り、最初の四つ角で交差しているのが、Rue de la Ville en Bois(ヴィル・アン・ボワ通り)。




ノワールムティエの塩(セル・ファン) モンパリお買物倶楽部で好評発売中


筆者プロフィールbacknext

【NET NIHON S.A.R.L.】
Copyright (c) NET NIHON.All Rights Reserved
info@mon-paris.info