ナントの街を横切って流れるロワール川に浮かぶ島 = L'Ile Beaulieu (ボーリュー島)、現在は、L’Ile de Nantes (ナント島) という名称になったがには、ナントが、新大陸との貿易で発展途上の真っ盛りだった頃の建物が、いろいろ残っている。(c.f. : 第23-27話 《バナナは、アンティーユ河岸で熟す》、第28-31話 《サトウキビは、Boite Bleue で白くなる》)
今では、この島の rehabilitation (再開発) が進み、2007年5月から、当時の倉庫群の、観光的利用が始まってる。その時から、ボーリュー島は、ナント島に名前を変えた。その中に、かつてのChantiers Dubigeon (ドュビジョン造船所) の、格納庫のように大きな建物が残っている。かつては、その中で大型船を建造した、あきれるほど大きな建物である。
その巨大空間の中で、ここの再開発のメイン・イベントとなる、巨大なゾウが建造された。ゾウのサイズは、ほぼ、この空間の幅と高さいっぱいに作られているので、高さ12m、幅8m、重さ50トンもある。(私が個人的に思うに、もしかしたら、この巨大格納庫を保存するには、勿論、多額の助成金を獲得しなければならないし、ということは、その大きさの必要性を充分に認識させるに足る、説得あるプロジェクトが必要だったのではないか ? とかね)堂々と、ディーゼル・エンジンで歩く450馬力の、この愛すべき動物は、その内部に、サロン、窓、バルコニー、テラス、テラスに上る階段まで持ち、50人もの人間を乗せて、時速1〜4kmで、ハイ・シーズンにもなると、毎日、ただただ一所懸命、5往復くらい、この島を練り歩く。その象と、それを取り巻くいろいろなお話は、それだけで、彼のサイズと同じくらい充実した内容なので、じっくりと時間をとって書いてみたいと思っている。が、今、そのゾウの従兄弟みたいな存在で、どうしても、大急ぎで御紹介しておかなければならない<動物>がいるので、とりあえず、そのお話をしてみたい。それは、2009年9月27日までの期間限定で、横浜の港を舞台とする博覧会場を、こちらも、毎日に5往復くらい、熱心に闊歩している、大きな大きな蜘蛛のお話である。
《横浜開国博Y+150》は、横浜開港150周年を記念して、2009年4月から、9月末まで、横浜を網羅する3地域で、盛り沢山のイベントを擁して開催されている。ベイサイド・エリア、ヒルサイド・エリア、マザー・ポート・エリアが、その3地域で、横浜の歴史、現在の横浜を支える企業、未来の横浜へ発展させていくプロジェクト、などを、ライヴ、ハイビジョン・シアターなども織り交ぜながら、幅広く展開している、浜っ子の博覧会である。
一方、1990年代初頭、フランスに、巨大スペクタクル・アート劇団 “La Machine” (ラ・マシーン = 機械) の母体が出来、多くの、奇抜なアイディアに満ち溢れたアーティスト、制作スタッフ、技術スタッフ達が集結した。その後、彼らは、1998年、非営利団体として、西フランスのナントと南フランスのトゥールーズ近郊にアトリエを設け、巨大な<生命ある機械 = 動くオブジェ>を制作し、動かす、という活動を続けている。その団体が、ドュビジョン造船所の巨大な跡地をアトリエとし、まず、2007年5月にゾウを誕生させたが、今回、《横浜開国博Y+150 (横浜開港150周年記念テーマイベント) 》に参加する、巨大な蜘蛛を制作したのである。彼らのコンセプトは、『横浜という都市空間そのものをイベント化する』というものだった。つまり、この巨大な蜘蛛が、物体を超越し、生命ある機械となり、それが動く空間全体が劇場になる、というもので、街と、街を構成する花や緑、空、海、車や船、ビルディングなどすべてが、この蜘蛛が、その生命を謳歌するためのシアターの構成要素と化していく、という圧巻な考え方である。そして、シアターとなった街の新しい空間の中で、<動物とラ・マシーン>、<人間とラ・マシーン>、そして、<ラ・マシーンと観客>という、いろいろな次元の絆が生まれ、その絆が、スペクタクル・アート劇団『ラ・マシーン』と、それに関わる、様々な人間との、新しい物語を生み出していく、という発展的建造物の在り方を探る、劇団である。
さて、このナントで制作された蜘蛛は、やはり、高さ12メートルにもなる、恐るべき動物で、日本に来る前 (2008年9月)、イギリスのリバプールに上陸している。リバプールでは、《博識な機械》というタイトルで、街中を歩き回り、5日間で30万人もの観客を動員した、なかなかのやり手である。イギリスでのイベント終了後、彼は、再び、分解され、コンテナに収まり、遠路はるばる、極東、横浜までの航海を続けた。そして、このベイサイド・エリア (新港地区8街区) の<Y150はじまりの森>に、おもむろに上陸すると、フランスから、彼に付き添ってきた72人のスタッフ達が、また丁寧にコンテナを開け、彼の健康状態 (特に、それぞれの関節の柔軟性など) を確認しながら、立派な蜘蛛に組み立てていった。そして、開幕前の4日間には、プレ・イベントを行ない、4月28日から、この森に正式に棲みついた、開港イベントの目玉事業だそうである。かれこれ4ヶ月、彼は、ヴァカンスもとらずに、仕事し続けている。何かとストライキの多いフランス生まれの蜘蛛にとっては、湿度の高い日本で、この上なくハードな毎日を送っていることになろう。
では、「何故、横浜開国博で、蜘蛛なんだろう?」という、素朴で基本的な疑問が浮かんでくるが、それは、「蜘蛛は、自らの繰り出す糸で巣を作る、極めて創造的な生物」であり、Y150の、様々なイベント会場を繋ぎ、横浜の夢を、蜘蛛の糸のように紡いでいくと共に、「Web (ウェブ) = 蜘蛛の巣」型ネットワークの象徴である、という観点から、「横浜で、蜘蛛」なんだそうである。これは、ちょっと考え過ぎって言うか、コジツケっぽいからストレートにはピンッと来にくい理由の気もするけれど、この蜘蛛そのものの機械的技術は、卓越した動物観察能力と、その機能再現能力によって実現された類希 (たぐいまれ) なものだから、一見の価値は十分にある。それに、折角、横浜に上陸してくれたのだから、日本では滅多に見られない、この劇団の作品を目の当たりにする機会として、やっぱり、足を運んでおいたほうがいい ! こうして、この巨大な蜘蛛が棲みついた、〈はじまりの森〉を中心に、横浜という街全体がイベント化され、Y150の会場と、会場の外側にある街並みを共生させ、横浜 = 開国博のシアターになっていく、という実験的プロジェクトを展開している、というのが、このY150開国博なんだそうである。
では、その蜘蛛自身は、と言うと :
私達が、横浜に出かけた日は、あいにくの曇り雨の日で (と言っても、今年の夏の悪天候では、いつ出かけても、同じようなものだったかも知れない)、グレーっぽい空の下を、<はじまりの森>に入ってみたら、彼は、奥まった空間に、鎮座ましましていた。ちょうど、お休みの時間だったので、巨大動物が眠っている感じ。でも、その長―い足の複雑さを近くから見てみると、「作った人は、すっごい凝り性!」というのが、すぐわかるし、「よっぽど、蜘蛛、好きなんだろうな!」と思った。普通、蜘蛛という動物のイメージは、世の中で、あんまり好かれていなそうだから、それを、ここまで微に入り、細に穿 (うが) って、且つ、歩行可能なものを再現するには、相当、蜘蛛を観察・熟知しなければ無理である。「好きこそ、ものの上手なれ、なんだなあ、やっぱり」という感心の仕方をして、私達は、彼の演技時刻まで、近くの黒船レストランで、お昼を食べながら、何となく過ごした。
さて、いよいよ、蜘蛛のエンターテイメント!面白いのは、蜘蛛を操縦するパイロットが10人もいることで (ナントで、巨大なゾウを操縦していたのは、たった1人だったから)、しかも、「映画マトリックス」っぽい雰囲気で、彼らは、センセーショナルに入場してきた。メインの操縦席と、上空にある蜘蛛の胴体部分の操縦席、そして、足1本1本にも、それぞれ操縦席があるから、10人も必要なのである。要するに、蜘蛛というのは、同時に、沢山の部位を動かしながら、生活している、極めて高機能な動物らしい、ということが、このパイロットの数でわかってくる。そして、彼らがそれぞれの持ち場に付くと、スペクタクル・アート風のバック・ミュージックとともに、このフランス蜘蛛は、目を覚ました。四肢というか八肢を動かし、体中の関節をボキボキいわせる感じで、自分の動きを確かめながら歩き始めた。少しずつ進みながら、背を伸ばし、目を光らせ、周囲を威嚇する。それを眺めているうちに、長い足を地面に着くときの、足音が聞こえてくる。しばらくすると、私達の中で、蜘蛛は、明らかに生命を持った。そして、ある時点から、私達が、蜘蛛を見ているのではなく、蜘蛛が、私達を見ていた。つまり、立場が逆転していたのである。それを、蜘蛛は知っているのだろう。やがて、ゆっくりだった歩みが活発になり、私達を睨みつけ、少しずつ背を伸ばし、最大の高さ12mに届くほどになると、胴体は、かなりの空中に浮かんでいる。そして、8人のパイロットが乗っている、足の操縦席は、遊園地の乗り物みたいに斜めになっている。どんよりと曇った空で、彼は、8本の足を縮めた。「ウワッ!時々、見たことのある蜘蛛のポーズ」と思うと、ゾクッとする。その瞬間、この機械であるはずの足に、黒々と毛が生えている感じがしてきた。しかも、その毛に触っちゃった感じ。その感触まで、自分の皮膚が感じている。「ウワッ、ウワッ!」とばかり思っていると、ついに、蜘蛛のお尻から、水が噴き出してきた。本来なら、蜘蛛の糸が繰り出される穴である。そして、私達、観客は、その霧雨と噴水の間のような、ちょっとヘビーな水を浴び、後ずさりする。見ている観客全員が、狭い<はじまりの森>の通路で、同時に後ずさりするのだから、かなりの切迫感。すると、蜘蛛は、さらに水を吹き出し、私達は、また後方に敗走する。それが、数回繰り返されると、蜘蛛は、やっと満足したかのように、12mあった高さを、少しずつ縮め、手足の関節をやわらげ、地面に近づいてくる。操縦席も水平に戻っている。そして、八肢すべてが、ゆっくり着地すると、蜘蛛は、この横浜で、私達を支配し尽くした事実にうっとりとしたように、地上に体を集めて、動かなくなった。数10分後、また、新しい観客達を威嚇するまで、彼は、短い眠りを貪るのである。
この生命ある機械が、眠る機械に戻った時、10人のパイロット達は、それぞれの座席を後にする。その時、私達は、「ああ、これは、スペクタクル・アートだったんだ!」と思いだし、その異次元さを認識した。つまり、先に説明した、この劇団《ラ・マシーン》の演技目的 (この巨大な蜘蛛が、物体を超越し、生命ある機械となり、それが動く空間が劇場になる) は、見事に完遂されていたのである。と、一通りレポートしてみても、あまりにも、いろいろを超越した動物だろうと思うので、ちょっと多めの添付写真で、多少なりとも想像していただければ…。
小雨混じりの1日、Y150の会場を往ったり来たりし続けた私達は、横浜という土地で、ラ・マシーン劇団独特の空間芸術の実現コンセプトを、見ることができた。今まで、ナントの島を闊歩しているゾウが大好きで、何百という写真を撮ってきて私達にとって、この2つの動物の機械的共通点なども、思いがけなく発見できたり、獣医さんのように、自分達の機械を点検しているスタッフを見かけたりできた、この横浜紀行は、いい遠足だった。
蜘蛛を好きでも好きではなくても、最初から、「蜘蛛キライ!」なんて言わないで、9月27日までに、日本にいる方々は、是非、横浜まで足を伸ばされるといいと思う。勿論、このフランス蜘蛛のほかにも、3地域での各種イベントは沢山あるし、横浜散歩も出来るし、中華街にも寄れるし、…。それに何よりも、こういう大規模な空間の使い方、というものに触れてみると、自分のやっている、いろいろな分野の中での、空間の在り方とか、空間との関わり方を、考えたり、考えなおしたりする、新しいアプローチが可能になるかも知れない。いずれにしても、古来から、『百聞は一見に如かず』だったのだから、日本と西洋の密接なコンタクトの始まりを、強引に作っていった、あの黒船が来た横浜で、空間を強引に劇場化していく、〈劇団ラ・マシーン〉の、巨大な蜘蛛を見てみるのは、やっぱり、相当、面白い筈である!(完結編)
(aout 2009)
開国の 野心が燈る 横浜を
劇場と化す 蜘蛛の絹糸
カモメ詠
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ドュビジョン造船所。現在は、ナント島の地質学的説明、及び、この地域の造船史などの展示を行っている。
かつては、ドュビジョンで造られた船を、この傾斜部分を使って、ロワール川に進水させていった。船は、そのまま、ロワールを下り、サン・ナゼールから大西洋に乗り出した。当時の進水式の写真を参照。
造船所のアトリエと船のガレージ。現在は、ラ・マシーン劇団のアトリエと巨大象のガレージになっている
以前は、造船をやっていたアトリエの内部。ここで、象や、蜘蛛が制作された。
ガレージいっぱいの、巨大な象。この建物の保存を主張するために、象のサイズを選んだ気がする。
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Y150 (横浜開国博) の新聞 |
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蜘蛛が棲みついた、ベイサイド・エリアの看板と、<はじまりの森>の入口
蜘蛛を操縦する、10人のパイロット。写真と実物。(実物撮影のとき、何故か1人足りなかった)
ナントで設計された時の、蜘蛛の設計図。
イギリス、リバプールに上陸した時の、蜘蛛の街中パフォーマンス。
<蜘蛛の動きと生態>
<はじまりの森>の奥深くに、眠っているような蜘蛛の、背中と顔。
本来、蜘蛛の糸を繰り出すための穴から、水を噴霧している様子。
空中で、斜めになっている、操縦席と、複雑を極めた、蜘蛛の関節のメカニズムに注目!
地上12mに達した時の映像。こういう形の蜘蛛、見たことありますよね!
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