パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第20回    2004.10 エッセイ・リストbacknext
 「たゆたえど沈まず」 パリ市のキャッチコピーだ。
 紀元前3世紀頃、セーヌの中洲にケルト族の漁民、パリシイ人が住み始め、その集落が後々パリと呼ばれる街を形成することになるのだが、このキャッチコピーがいつ頃生まれたのかは、よく知らない。多分すごく昔(なんて歴史を無視した表現!)セーヌ川の水運によって発達した街のシンボルとして、紋章を作り出した時にでも考えたのかもしれない。セーヌ無くして、パリは存在しないのである。

 そんなセーヌだから、人々と川は常に絡みつづけ、近代になってからは、芸術的対象ともなった。詩や小説や、絵画や音楽や映画が生まれた。「左岸」「右岸」という表現は、現代のパリ人にとっても、単に左右を区別する説明の意味合いだけではない、多くを物語る言葉ともなっている。川岸を意味するquai(「ケ」という発音)という言葉もまた、日常会話にしょっちゅう登場。道路の住居表示の数字も川を起点に始まるなど(ちなみにセーヌに近いほうが若い数字。並行した道は流れに沿って数字が大きくなる)生活の基盤にも利用される。
 その中州である、シテとサンルイがパリ人の郷愁でなくして何になるのだろう・・・パリの中で一番住んでみたいところはどこかとフランス人に尋ねれば、スノッブなパリ人は、「島」と答える。
 
 セーヌ川には実はいくつか島があるが、有名なのが、シテと、その東側に続くサンルイで、おそらくパリの人々も、この二つだけしか'意識'していない。サンルイは1600年代に、それまで洗濯や散歩をするだけの単なる小さな島だったところを埋め立てて居住地として使われるようになった土地だそうだ。何でもこの辺りの都市計画は、マレー地区を作ったアンリ4世によるものだそうだから、歴史の都パリにあっても相当古いほうだが、本当のことを言えば、パリ発祥の地であり、サントシャペルやノートルダム寺院を擁するシテ島に比べたら、特に注目すべきことはない。建造物を公開しているわけでもないから、名所旧跡観光型のお勧めコースというわけではない。

 でも、いや、「だからこそ」というべきだろうか、今もまだ現役居住地のこの島には、ここだけの匂いが漂っている。ショッピングカーを引きずりながらゆっくり歩く老人の姿がよく似合う。パンを小脇に抱えた人たちが大きな木の門のところで、立ち話をしている。1人はここの住人、そしてもう1人はお隣さん?本当に何気ない日常のひとコマが、セピア色の写真のように、流れる。それがなんとも言えず、パリらしい。大好きだ。
 そして、どんよりした空模様の方が島にはふさわしいな、と私は思う。車がやっと通れるほどの小道、二人並んで歩くには狭すぎる歩道、昼間でも静けさを残す街並、ふと目に入る小さな教会の鐘楼、まるで時がとまってしまったよう。

 シュリー橋を渡って、サンルイ島を左岸から眺める。そして、また、ためいきをつく。一体、何人の画家がこの風景に触発されて絵筆をにぎったことだろう。オスマン知事以降の立派な建築とは一味違う、古めかしさがそのまま絵になる建物がびっちりと続いている。特に目立つものはなく、うすら汚れたような白っぽい家並が続く。屋根裏部屋の小さな窓。昔ながらのよろい戸。それらがなんとなくかしいでいるような気がするのは、セーヌの水面のせいだろうか・・・。
 そして、その先に小さく見えるのはノートルダムの後陣とそれを支えるアーチ型の飛び梁。正面より何倍も美しい(と私は思う)後ろ姿である。

 その、憧れの「島」に長年の友人B夫妻が住む。
「雨が続くと、島が溺れるような気がして・・・」「この前外国の要人が来たでしょ。その時の渋滞と言ったら、島を出るのに20分もかかったのよ。歩いたら5分なのに」「ちょっと手を入れたくても、許可が下りないのよ。歴史建造物だから」
 '憧れ'に目を覚まさせようと思ったのかどうか、やけに否定的な愚痴っぽいせりふが続く。でも、そう言いつつ、決して引っ越そうとはしない彼ら。文句を言うのもなんだか少し誇らしげ・・・と思うのは私の僻みかしら!?


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