パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第21回  手(その1)   2004.11 エッセイ・リストbacknext
 夫の書棚に『ロダンの言葉』という書物も見つけたのはいつの頃だったろうか・・・。おそらく大学生の彼が買い、愛読(?)していたその赤いハードカバー(おまけに箱付き!)の本は、昭和44年11月に7版として刷られたものだ。定価450円。その本の最初にあった『遺言』を読んだ時から、ロダンは私にとって忘れられない人となった。

  「貴方がたの先人である大家たちを、心をかたむけて愛したまえ。・・・・・しかし、貴方がたの先輩たちをまねることは自戒したまえ、伝統を尊び、そのなかにある永遠に豊饒なもの、すなわち『自然』への愛と誠実とを見ぬくことを心得たまえ。・・・・」
 「『自然』が貴方がたの唯一の女神であることを。
 自然を絶対に信じたまえ。それが決して醜でないことをかたく信じ、貴方がたの野心を、自然に忠実をまもることにもっぱら限りたまえ。・・・・・芸術家のするどい眸は、『性格』――すなわち、形態のしたに透けてみえる内部の真実――を見出すからである。そしてこの真実こそ、美そのものである。・・・・・」
 「辛抱強くあれ!・・・・・芸術家の資格とは、聡明、注意深いこと、誠実、意志、のほかにはない。貴方がたの仕事を、実直な職人のように果たしたまえ。・・・・・」(*ポール・グセル著 古川達雄訳『ロダンの言葉』より
 
 長く不遇な修行時代を経て、巨匠と称されるまでに上り詰め、その後も尚、行く道を追究したロダンの、若き彫刻家たちに遺したこれらの言葉の数々は、芸術家ではない私の心にも響いた。でも、ロダンの作品群のイメージ(それは写真などで見て知っていたもので、本物をみたことはなかった)と「言葉」とがすぐに結びついたわけではない。「彫刻はよく解らない」というのが正直な感想であり、あまりに有名な作品『考える人』とか『地獄の門』は、それを知っているというだけで私の思考をストップさせてしまうのに充分だった。
 だから、むしろ、「言葉」だけが先行してしまった、という感じでもあった。人として生きていく上で、何かをする上で、これらの豊かな言葉はしばしば私の脳裏に現れた。そして、始めてパリに住むようになった頃、私の足は自然とロダン美術館へと向った。

 ロダン美術館は7区の真中にある。7区は左岸だ。ナポレオンが眠るアンヴァリッドを中心に東はオルセー美術館、西はエッフェル塔まで、セーヌ川を底辺にして逆三角形に広がる緑多い地域。ことに、東側は18世紀に瀟洒な一軒家(日本人の感覚からしたらちょっとした城!)がいくつも建てられた地域である。
 オテル(HOTEL)と称されるそれらの建物は、現在は官公庁や大使館などとして利用され、中でもいちばん有名なのが、《オテル・マティニョン》と呼ばれる、首相官邸である。そしてそこから数軒離れた、アンヴァリッドの横にある《オテル・ビロン》が現在のロダン美術館。この館には建築当初から代々有名人が住んだが、20世紀になって最後の所有者である修道院が解散すると、コクトーやマチス、リルケなど芸術家が敷地内に住みついた。オーギュスト・ロダンもこの古い邸宅と庭園を大変好み、パリ郊外、ムードンの自宅から通っては製作に励んだ。そして1911年に国家が買い上げた後も亡くなるまでそこを使っていたのだが、作品のほとんどを国家に遺贈することを約束し、没後2年(1919)邸宅はロダン美術館となった。

 美術館自体は小ぶりなわりには入場料が高く、よほど興味のある人でなければ訪れなかったのだろうか、当時、館内はいつでも静かであった。『地獄の門』や『カレーの市民』、そしてもちろん『考える人』が、薔薇の美しい庭園に無造作に置かれていた(ような気がする)。庭だけの入場料というのもあったから、乳母車に乗せた子供たちと散歩にだけ来たこともあった。
 始めて館の中に入り、正面の部屋の奥、窓辺に置かれた、作品を見た時、私は、新鮮な驚きを覚えた。イメージだけだった有名な作品群を実際に見た時も、もちろん、「それなりに」感動したのだが、それとは違うショックだ。大理石で作られた「手」に、まさに、吸い寄せられるように、私は近づいたのだった。

 その後、美術館には何度も足を運ぶ。お薦め美術館のイチオシであり、「ルーブルやオルセーはもう見たから・・・」という日本からのお客様を何人もご案内し、概ね好評を得ている。ただ、中学生になった子供たちを無理やり連れて行った時、「もう一度'手'を見て帰ろう」という提案を「疲れたから、一人で見てきたら?」とすげなく断られ、当時修復中だった庭園のベンチに座り込む彼らにアイスクリームを渡して、一人で館内に戻った・・・・という一回を除けば。(次号に続く)

オテル・ビロン

考える人

地獄の門
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