朝10時頃になると、ためらいがちに押された呼び鈴の小さな音とともに、玄関先で、コソッという乾いた音がする。その音を聞きつけると、私は、とりあえず玄関へと降りていく(デュプレックスと呼ばれる2階式のアパルトマンでの私の書斎兼居間は、2階部分にある)。大きな扉の向こう側に、今日は何が置かれているのだろうか。毎日のことなのに、私の胸はちょっぴりどきどきする。期待に胸弾ませ……という表現も、あながち嘘ではない。
朝の掃除を終えたギャルディアン(管理人)のモンティローニさんの次の仕事は「郵便物配り」だ。大きな小包などの場合は、呼び鈴をしっかりならして、こちらがドアを開けるのを待つのだが、書状だけの時は、「手紙ありますよ」とちょっと声をかけてくれるようなタッチの押し方で、玄関の外の靴拭きマットの上にそれを置いて、階段を下りていく。
昔、16区に住んでいた時のコンシエルジュ(管理人、ギャルディアンより立場が弱い)のペトロビッチさんは、ドアの下のほんのわずかな隙間から、書状をアパルトマンの中まで差し込んでくれた。これも、独特の音で、玄関のカーペットをこする、シュワー、というような音は、20年以上たった今もはっきり耳に残っている。そしてあの頃の胸のドキドキが、今よりもっと大きかったことはもちろんだ。「国際電話」が特別の時代で、通信はもっぱら郵便だった。日本からたまに届く薄紙の航空便用の封筒が、その日一日を幸せにしてくれる、そんな時代だった。日本で、家の郵便受けを覗くときも、それなりの嬉しさはあるのだが、「パリの音」が私に与えてくれるものは別のもの。外国での生活と思い出と感情とが全部交じり合って、とても懐かしく意味のあるものになっていることは確かである。
でも、時代が変わり、今では、パリ市内で常駐の管理人を置いている住宅は減り、多くが、日本と同じように、建物内に郵便受けを並べるという形式になっているようだから、私のような感覚を味わえる人は少なくなってしまったかもしれない。
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