パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第43回  顔(その1) 2008.1エッセイ・リストbacknext
 セーヌ川の中州、サンルイ島の東端にかかるシュリー橋で左岸に渡ったところからその道は始まる。そして、革命前にはブルボン家の別荘だったためにブルボン宮と呼ばれる国民議会(日本でいえば衆議院)のところまで弓なりに続く。セーヌ河岸に始まってセーヌ河岸に終わるこの道は、「ケ」と呼ばれる川岸の道の南側を、つかず離れず、適度な間隔をもって平行に、東から西に伸びる全長3キロメートル余の大通りだから、街路番号は実に288番地まで数える。小さな、路地と表現するほうがいいような、総番号が50にも満たないような道が多いパリ市にあって、桁違いに長い道路。道幅もそれなりに広く、「ブルヴァール」という種別に属す街路樹のある道である。
 でも、バスレーンを除いて、一般車用の道路としては、西から東への一方通行であり、私の生活感覚も、「凱旋門のある右岸から左岸」という流れに乗ってしまっているために、この道を語るのも、何となく西から東へ動いてしまう。シテ島からパリが誕生したのだから、厳密に言えば歴史に逆行する形となるのだが、いずれにしてもフランスの歴史に絡むさまざまなエピソードを持っているこの道は、私のお気に入りの一つである。

 西端の、国民議会の周囲には、官庁が多い。だから、重厚な雰囲気が漂う。もっとも、日本の官庁街のような、いわゆる「霞ヶ関」を想像すると、それは全くあたらない。建物自体は、市内のほかのものとさほど変わらないし、たまに立派な一軒家があったにせよ、隣接した建物と一体化していて家並みが途切れるわけではないから、単に、「商店がない」というイメージを残すだけ。住居にしては立派すぎるかな?とか、公共の建物だろうか?・・・といった印象を与える程度だ。そんなふうだから、わりといつでもひっそりとしていて、並木が作り出す陰が一層、辺りの重厚感を強めている。歩く人の雰囲気も、そぞろ歩きというよりは、事務的で、よく言えば無駄が無い。

 しかし、この道を2-300メートルも歩けば、オルセー美術館へつながる小道があり、ちょっとしたカフェやこぎれいな店舗が少しずつ出現し、「左岸の代表」の一つともいうべき顔をもった、小粋な街が始まる。メトロのリュ・ドゥ・バック駅のところからは、モンパルナスへ向かうラスパイユという大通りが枝分かれする。そして、さらに行けば、左手に見えてくるのがサンジェルマン・デ・プレ教会。
 この教会を真ん中にして、東西に伸びるこの道は、もちろん、サンジェルマン大通りで、いつの時代もパリの顔の一つであった、「由緒正しき」地域である。

 日本のパン屋さんの名前にも使われているので、その音に親しんだ日本人は多いと思う。フランスやパリを訪れたことがなくたって、「シャンゼリゼ」みたいに「パリのサンジェルマン大通り」は誰もが知っているのかもしれない。そして、ある程度の年齢以上の人々にとっては、実存主義だとか五月革命だとか、時代の節目を感じられる忘れられない地域となったに違いない。
 当のパリ人も、多くの大学を擁し、文学や芸術の香りの高い歴史あるこの通りの周辺地域に、特別の思いをよせているらしい。友人のジャンが「どうしても案内したい」と言ってひかなかった(私が何年パリに住んでると思ってんの!?)のも、かつて下宿屋が並んでいた教会の裏にある小さな小さな通りや、ボザール(美大)の学生のたむろすカフェだった。

 さて、この「由緒正しき」だが、この地域は、パリの文化のるつぼだと思う。文化が政治や社会に大きな影響を与えるこの国では(21世紀の社会で、文化が過去と同じように大威張りできているかどうかは別として)、さまざまな文化を支えてきたこの地域こそが、「顔」であった。


  サン・ジェルマンという名称自体が、クロビス王の息子のヒルデベルト1世の政治顧問で、のちにパリ司教となったジェルマンの名前をいただくものであり、没後に聖人にまで祀り上げられた人物のために建てられたのが、サンジェルマン・デ・プレ教会である。それだけでも「顔」に相応しいような気がしてくる。(次号に続く)



国民議会


サンジェルマン大通り



サンジェルマン・デ・プレ教会

 
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