しかし、この道を2-300メートルも歩けば、オルセー美術館へつながる小道があり、ちょっとしたカフェやこぎれいな店舗が少しずつ出現し、「左岸の代表」の一つともいうべき顔をもった、小粋な街が始まる。メトロのリュ・ドゥ・バック駅のところからは、モンパルナスへ向かうラスパイユという大通りが枝分かれする。そして、さらに行けば、左手に見えてくるのがサンジェルマン・デ・プレ教会。
この教会を真ん中にして、東西に伸びるこの道は、もちろん、サンジェルマン大通りで、いつの時代もパリの顔の一つであった、「由緒正しき」地域である。
日本のパン屋さんの名前にも使われているので、その音に親しんだ日本人は多いと思う。フランスやパリを訪れたことがなくたって、「シャンゼリゼ」みたいに「パリのサンジェルマン大通り」は誰もが知っているのかもしれない。そして、ある程度の年齢以上の人々にとっては、実存主義だとか五月革命だとか、時代の節目を感じられる忘れられない地域となったに違いない。
当のパリ人も、多くの大学を擁し、文学や芸術の香りの高い歴史あるこの通りの周辺地域に、特別の思いをよせているらしい。友人のジャンが「どうしても案内したい」と言ってひかなかった(私が何年パリに住んでると思ってんの!?)のも、かつて下宿屋が並んでいた教会の裏にある小さな小さな通りや、ボザール(美大)の学生のたむろすカフェだった。
さて、この「由緒正しき」だが、この地域は、パリの文化のるつぼだと思う。文化が政治や社会に大きな影響を与えるこの国では(21世紀の社会で、文化が過去と同じように大威張りできているかどうかは別として)、さまざまな文化を支えてきたこの地域こそが、「顔」であった。
サン・ジェルマンという名称自体が、クロビス王の息子のヒルデベルト1世の政治顧問で、のちにパリ司教となったジェルマンの名前をいただくものであり、没後に聖人にまで祀り上げられた人物のために建てられたのが、サンジェルマン・デ・プレ教会である。それだけでも「顔」に相応しいような気がしてくる。(次号に続く)
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