パリで活躍する素敵な方々にインタビューし、それぞれの「モンパリ」をお聞きします。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
全てが絵になるパリの景色の中で 
2005.07
 アートの街パリでこの春からグラフィックデザイナーとして活動を始めた一人の日本人女性がいます。彼女が卒業したパリで最も厳しいと評判の美術大学について、そしてフリーランスとして働き始めたパリでの生活についてインタビューしました。







ご自宅の近く、ビクトルユーゴー通りのカフェにて。
寺田朋子さん
グラフィックデザイナー
1997 リヨンに1年間留学
1998 青山学院大学卒業後 夏からパリのペニンゲンに入学
2004 6月 ペニンゲン卒業、学友とイラストレーションのアソシエーションを設立
2005 2月 フランスでのフリーランスビザ取得 フリ−のグラフィックデザイナーとしてパリで活動を始める
 ■ Interview
1、 外国で、しかも厳しい学校で勉強を続けるのは大変だったと思いますが、挫折を感じたことなどはなかったのですか?

 初めてペニンゲンに入ったときに、まずは語学という面で、周りのフランス人との交流に苦労しました。何せ美術の学校ですから、先生も言葉をきちんと話すなどということはしてくれませんし、98パーセントはフランス人、もしくはフランス語圏の学生でしたから、スラングの頻度や話すスピードなどは容赦ありませんでした。「これはとてもおいしいです。」という代わりに、「これまじうま。」と言われても、分かんないですよね?
 第二に友達としての人とのつきあい方に戸惑いました。個人主義の世界は、日本の集団主義から来る人にとっては異世界ですね。

 しかし一番大変だったのは、学校の「課題」です。しかも量が半端じゃなく、テーマもアイデアを出させるようなものばかり。点数で一喜一憂し、ペニンゲンの学校のシステムに完全に溺れていたので、他の事に目をやる暇もありませんでした。この学校の厳しさはこの世界では賛否両論なのですが、個人的には逆にバネになっていた気がします。ものすごく落ち込んだりもしましたが、やめようと思ったことは一度もありませんでした。
 先生はペニンゲン卒業者で実際の広告業界などで活躍している方々も多く、課題を兼ねたコンクールなどもあって、優秀作品は実際の雑誌やポスターなどに採用されることもしばしばです。実社会の厳しさや仕事の仕組みも自然と学生時代から学ぶことができるのがフランスならではの教育システムですね。

2、 そんな厳しい学校でも、頑張って優秀な成績で卒業なさったそうですが、その後フリーランスを選んだ理由は?

 ぺニンゲンのディプロムがあれば、大手広告代理店などにジュニアアートディレクターとしての就職は難しくないのですが、私はやはり日本人で、こちらで働くには就業ビザを取らなくてはいけません。同じレベルの人がいればやはりフランス企業はフランス人を取るのが普通です。外国人としてフランスで働くのはフリーランスの方がビザが取りやすいため、 申請の後、今年2月にやっとフリーランスビザが取得できました。
今のところ、仕事の依頼も順調にいただいていて、名刺のデザインからCDジャケット、子供向けアニメなど、なるべく断らないように色んな仕事にチャレンジしています。
 フリーランスで仕事をするのは、時間やお金の管理も難しいですが、一日一度は外に出るようにしています。ジムでひたすら走るのが、私の精神面を含めての健康維持の秘訣です。
 また、もう一つフリーランスを選んだ理由は、企業に収まってしまうと、本当にしたいイラストレーション(絵本)の仕事がしにくくなると思ったからです。将来は日本の昔話などをフランス語の絵本として出版したいと思っています。 その活動は、ぺニンゲンの友人と卒業後にイラストレーションのアソシエーションを設立して、地道に展示会をしたりして活動をしています。 ちなみに私たちのアソシエーションのサイトです。
http://www.lassocpiquante.com

ご自宅兼仕事場を訪問。パリでは珍しい自然光の沢山入るアパルトマン。
コンピューターの大きなモニターが並ぶ。キッチンの窓からはエッフェル塔の頭がひょっこり見える。
ペニンゲンはこんなに厳しい学校です!
Ecole Superieure d’Arts Graphiques et d’Architecture Interieure Penninghen
国立装飾美術大学

http://www.penninghen.com/
 1868年に開かれたアトリエで、ボナール、マチスなどの偉大な画家を輩出した歴史と伝統のある学校。現在はグラフィックと室内建築の専門大学。
 グラフィックデザインといえども、準備学級を含め始めの2年間は基本のデッサンをみっちり教えられる。グラフィックアートの学校では珍しいデッサンの授業の多さ。室内建築科は比較的最近作られたばかり。基本的にアーテイストデイレクターを育てる学校のため、一つの専門を深く追求するというより、幅広く全てを勉強させられる。グラフィック科での授業は基本的なデッサンから、アニメーション、カリグラフィー、タイポグラフィー、写真、コンピューター、など。多くの卒業生は、モード、デザイン、広告、出版などの分野で活躍している。
学年   生徒数
1年目

誰でも入れる準備学級
年末に試験がある

300人
250人
1年 基本を全て学ぶ 木炭画、素描、ガッシュのデッサン、立体、美術史 100人
2年 グラフィック科と
建築科に分かれる。
グラフィック科 写真、コンピューター、タイポグラフィー、カリグラフィーなどが授業に加わる
50人と
20人
3年 ・宿題に追われる毎日、平均点を取らないとクビ。
・遅刻をすると教室に入れてもらえないことも。
・ひと月で3回遅刻すると親宛に警告の手紙届く。
・もちろん欠席が多すぎるとクビ。
・病欠の場合は医者の診断書がなければその日の課題には0点がつけられる。
4年 卒業作品(一学期、二学期の成績平均が規定以上でなければ、卒業作品をする資格がない。もちろん卒業作品のできが悪いと卒業できない。再挑戦はできないのでクビ。)
卒業式は、卒業作品の成績発表と共にディプロムが与えられる。
卒業作品の展示があり、業界の面々が訪れ卒業後の仕事に大きく影響。
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【back number】 vol.1 パリは私を放っておいてくれる街 平沢淑子さん
  vol.2 パリのエネルギー源は人間関係 芳野まいさん
  vol.3 エール・フランスパイロット 松下涼太さんに訊く
  番外編 ワイン評論家 “ジャン・マルク・カラン“に訊く
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