1、 3歳からバイオリンをはじめられたそうですが、バイオリニストになりたいと思いはじめられたのは何時頃ですか?
インタビューでよくこの質問を受けますが、バイオリニストになろうとか、なりたいと特に思ったことはこれまでありません。バイオリンという楽器を媒体に自分の音楽や自分自身を表現できることは素晴らしいことだと思っています。
小さい頃から、鈴木メソードでバイオリンを教えていた母のレッスンを身近に見ていて、自分も生徒さんたちと同じように楽器を持ちたいと母に頼み、3歳でバイオリンを始めました。ちょうど父の転勤で私たち家族がロンドンに住んでいた頃です。4年間のロンドン滞在の後帰国、日本は小学校1年生の1年間だけで、再び父の転勤でパリに向かいました。その頃から、バイオリンのおけいこは日課でしたが、大きくなったらバイオリニストになろうとは思いませんでした
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2、パリに移られて、現地の学校にはすぐに慣れましたか?
ロンドンでずっと現地校に通っていたせいか、外国の学校の環境には慣れていたかも知れません。パリに来てすぐに8区の公立小学校に入りました。 この学校には音楽コースがあって、毎日午前中は公立小学校で通常の勉強、給食の後、音楽コースのクラスは全員パリ市立音楽院(C.N.R. DE PARIS)に移動し音楽の勉強をするシステムでした。最初はチンプンカンプンだったフランス語も自然に話せるようになりましたし、友達もたくさんできました。
3、 音楽コースをご自分で選ばれたのですか?そこではどんな勉強をなさいましたか?
パリに来た時はまだ7才の時で何もわかりませんでしたから、進路はやはり両親の考えでした。父が用意していた学校のリストの中に、たまたまこの音楽コースがありましたので、バイオリンという特技を生かしてみようと、選抜試験を受けました。
市立音楽院では、バイオリン実技をはじめソルフェージュ、室内楽、オーケストラ・ワーク、また、ロストロポービッチのマスタークラスなどで勉強し音楽の基礎を学びました。バイオリン実技では、バッハの無伴奏ソナタやパルティータ、イザイのソナタなど古典から近現代の曲まで幅広く課題を与えられると同時に、シュラーディック、セブシック、ガラミアンなどの教本、また、カール・フレッシュの音階体系を勉強しました。協奏曲ではブルッフ、メンデルスゾーンなど日本でも馴染みのある曲の他に、ドベリオ、ルドルフ・クロイツェル、ローデ、ヴィオッティなどの曲でフレージングやアーティキュレーションを学び、室内楽やアンサンブルの素晴らしさや喜びを知ることができました。
同時に、テレビや雑誌の取材、また、様々な記念コンサートで演奏する機会をいただきいろいろな経験をすることができました。
4、 パリ国立音楽院に13歳で入学され、周りの学生はもちろん年上ばかりでしたでしょう。戸惑いなどはありませんでしたか?学校ではどのような勉強をされましたか?
パリ国立音楽院に入学した時は、周りは年上の人ばかりで、今まで味わったことのない空気を感じました。ただフランスでは、学生同士では年齢の上下関係はありませんから(逆に日本の先輩後輩という関係は難しい)、すぐになじむようになりました。昨年卒業してディプロムを取りましたが、在学中はバイオリンのレッスンの他に音楽史や音楽理論、グレゴリオ聖歌、室内楽、オーケストラなどを学びました。
学生生活自体はとても自由で楽しいものでした。
反面、自分自身の中では常に自分の音楽を求めて悩んだり苦しんだりもしました。
音楽院には音楽学部とバレエ学部がありますが、特にバレエの方は一年ごとに在籍審査という厳しいシステムでした 。
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3才・ロンドンにて
8才 バカンス中、田舎の屋外で練習
13歳 アヴィニョンにて
(アヴィニョン国際コンクール優勝の時) |