パリで活躍する素敵な方々にインタビューし、それぞれの「モンパリ」をお聞きします。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
デザイナー Reiko Kozaki Méry 
  2010.02
 ■ Interview その2 プロフィールとインタビューその1 |その3
4、ファーニチャー・ペインティングの仕事と、エミー・スー・ローザンのコスチューム、両方をこなしていたわけですね?

Michel Méry
ニューヨーク時代の制作風景
ファーニチャー・ペインティングの会社では、その後ディスプレイデザインに部署換えになりました。仕事は好きでしたが、上司がこれまた恐ろしい方で、1年で辞めました。

その後、バーンステイン・ディスプレイ社に拾ってもらい、ディスプレイデザイナーをしていたのですが、グラフィックデザインの素質も認めて頂き、そのうち「なんでも〈萬〉デザイナー」となりました。というのは、店舗内装、店舗什器、空間、展示会・・・等々、バーンステインが必要とする全てのデザインを担当していたからなんです。
その他にも、マネキンのデザインや、マネキンの箱のデザイン、さらに写真撮影もこなしていました。面白かったですよ。

〈お金を稼ぐデザインの仕事〉と、〈お金を稼げないコスチュームデザインの仕事〉を両立させ、2000年には、前年に受注したコスチュームデザインの仕事でスケジュールが埋まってしまい、休日返上で働くほど多忙になりました。平日はバーンステインでの勤務が終わったら夕食はボスと食べて、家に直行でコスチューム縫ってました。今から考えると良くやったと思いますが、いや、今も同じくらい大忙しな日々を送っていますね。

5、いつでもどこでも大忙しですね。とてもアクティブでたくさんの顔を持っているReikoさん。テキスタイル、グラフィック、コスチューム、ウェブ、御自身もダンサー、などなど、色々な活動の共通点はありますか?
 共通点は「私であること」でしょうか?
お金にはいつも貧乏していまして、なんか金額が高い仕事が来るたびに「これはお金のためだからやらなくては」と思うのですが、気に入らないと本人は最大の努力をしているのにすぐ無残な失敗に終わるんです。自分が好きなことしかできない人間なんです。というか、自分であることしかできないのが私ですね。

、 制作のインスピレーションの源はなんでしょう?
 さあ、なんでしょう?
自然にやってくるので、源って何かなって考えたことがないです。
インスピレーションが来なくて、いらいらする時期ってのはありますね。でもこれは「待つ」しか方法は無いです。この間は他のことをしながら、たとえば料理に懲りまくるとか・・・気長に待つようになりました。
夫から見ると、ある日突然狂ったように働き出し、ある日突然「冬眠」しだすそうです。私からすると、冬眠はインスピレーションを待つ期間なんですが、外から見るとそんな風に映るようです。

7、 ニューヨークからパリに移住されたきっかけは何ですか?
 長い間パリに住みたいと思っていて、母が死んだ年齢と同じ55歳になったらパリに移住しようなんて考えていました。そうしたら2001年に〈9.11〉が起こり、こんなことでニューヨークで死んじゃったら嫌だなと思ったんです。それと同時に、以前にもまして、早く彼の地に行きたいという欲望も強まりました。実は〈9.11〉と同時にフランス人と恋に落ち、結婚し、幸せを手に入れたのです。

その当時、私のクライアントのひとりがヨーロッパ移住計画を立て、コスチュームデザイナーであった私も移住しないかと言われました。
でもその時は「まだ用意ができていない」と答えました。最愛のクライアントであるエミー・スー・ローザンに、最後になるだろう作品を依頼されたのです、「パリに引っ越さないで。仕事があるの。最後になるかもしれない。私は癌なの」って言われて。
私はニューヨークに留まりました。

これもまた同時に父も癌になり、エミー・スー・ローザンと時を同じくして亡くなりました。日本という土地にこだわる理由も無くなったので、日本にある全ての財産を綺麗に整理し、フランスに渡ったのです。

8、 アメリカとフランスでアート業界の雰囲気は違いますか?
 渡仏してきた時は、エミー・スー・ローザンと父の死で私は「冬眠状態」になってましたから、まったく人に自分の作品を見せず、ニューヨークのネットワークとも交信しませんでした。活動し始めたのはここ1年の間なんです。
アメリカはチャンスが怒涛のように押し寄せ、フランスではじわじわとやってくるように思います。


、 アメリカ人とフランス人の反応も違いますか?
 違いますよ。アメリカ人は最初大騒ぎして、すぐけろりと忘れる性質。フランス人は最初は訝しい目で見つめ、ゆっくりと認めていく性質。フランス人の反応が、アメリカ人のように大げさじゃないことに慣れない頃もありました。稀にアメリカ人並に大絶賛する人もいますね、フランス人の中に。また、大絶賛じゃなくても、“フランス人の驚き方” もわかるようになりました。瞳孔が開きっぱなしになったり言葉がなくなったり、そういうのが彼らの、絶賛して評価する代わりに見せる表現です。

10、 日本の着物や布をよく使うのですか? バービー人形のプロジェクトについて教えてください。
 日本の着物や布は、全く使ったことがないコスチュームデザイナーでした。
ある日、サンテチエンヌの美術館から日本のデザイナーを集めて展示する話がきまして・・・。
この仕事は最後の最後までインスピレーションが来ない苦しい仕事でした。展示会タイトルに「日本」が入ってるもんですから、何とか「日本」にこじつけないといけなかったんですが、それが、もう日本と遠く離れた自分に大嘘ついて、偽わりの物を作るみたいで嫌だったのです。
でも、展示会の主催者が決してあきらめなかったんです。
で、ふとバービー人形を使って、日本の着物や布の洋服と、パリのトイレットペーパーで作った洋服などまぜこぜにしながら、私の故郷って世界を作ってみようかとアイデアが浮かびました。
それ以後はホント楽しい日々でした。幼い頃の、お人形遊びしているような感覚だったんです。私の「日本」ってものが、この制作を通して自覚できました。


Reiko Kozaki Mery


Reiko Kozaki Mery
サンテチエンヌで発表したバービー。日本の 家族の 着物や、ネクタイデザイナー時代に制作した生地、 N.Y でコスチュームに使用した生地、 パリのトイレットペーパーやビニール袋など、様々な素材を使用

プロフィールとインタビューその1 |その3

【back number】 vol.1 パリは私を放っておいてくれる街 平沢淑子さん
  vol.2 パリのエネルギー源は人間関係 芳野まいさん
  vol.3 エール・フランスパイロット 松下涼太さんに訊く
  番外編 ワイン評論家 “ジャン・マルク・カラン“に訊く
  vol.4 全てが絵になるパリの景色の中で 寺田朋子さん
  vol.5 マダム・ボ-シェに聞く
  vol.6 日仏交流の最前線で
  vol.7 パリで育ち、世界に羽ばたく 山田晃子さん
  vol.8 光に魅せられて 石井リーサ明理さん
 

vol.9 音楽の都・パリのピアニスト ジャン・ルイ・ ベイドンさん

 

vol.10 光を求めて マリー・ジョゼ・ラヴィさん

 

vol.11 「ミラベル Mira-Belle」帽子で世界一周とタイムトリップを

  vol.12 愛する街パリを描き続ける 赤木曠児郎さん
  vol.13 「ポーリーヌ・パン」バッグ
    クリエーションを支える人と人のつながり
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