パッサージュ1
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2004.09 |
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クール・デュ・コメルス・サン・タンドレ
Cour du Commerce St-Andre |
ここはサンジェルマン大通りからサンタンドレ・デ・ザール(St-Andre-des-Arts)通りに達する半分屋根の無いパッサージュで、メトロの駅はオデオンになる。ダントンの像のところから道を横断したところに始まるクール・デュ・コメルス・サンタンドレという名の小さな通りだが、とても可愛らしい魅力に富んだところだ。歴史的にも古くフィリップ・オーギュスト(鎌倉時代)の築いた城壁の濠があったところであり、17世紀から18世紀にこのような道ができた。石畳がでこぼこしていて、説明を聞かなくても、何か歴史ある由緒ある道なんだろうなという感じがする。
レストランが並び、暑い時はテラスで食べられる。ひっそりとしてあまり大通りの喧騒がないのでゆっくりと食事が出来る。道一つ向こうのアンシエンヌ・コメディー通りには世界一古いカフェ、《ル・プロコップ》Le Procopeがあり、パッサージュ側にも出られるようになっている。17世紀ルイ14世時代にこのカフェで供された不思議なアロマの黒いスープは、あっという間に世間を席捲したらしく宮廷でも珍重された。今はレストランになっているが、18世紀には哲学者のヴォルテールやディドロ、急進思想のダントンやマラーなどが出入りした。ナポレオンもベンジャミン・フランクリンも来ている。 |
パッサージュの8番地は、そのマラーが革命のラディカルな扇動をする『人民の友』を発行したところである。彼は1793年7月14日、シャルロット・コルデーによって風呂桶の中で殺されてしまった。余談であるが、その風呂桶はグレヴァン蝋人形館に保存されている。そして9番地は革命時の有名な刑具、ギロチンが試作されたところである。ギロチンとは、ジョゼフ・ギヨタンという名の医師の姓を女性名詞形にしたもの。フランス語の発音はギヨティーヌに近い。彼が死刑の形態を一つにし、死にいく者が苦しまず「首に爽やかさを感じたと思うと君は死んでいる」という刑具を発明した人である。最初は刃が丸かったのだが、国王ルイ16世に見せたところ、数学に強い国王が「刃が丸いより斜めに鋭角な方が切れる」とのたまわったのであのような形になったと言う。駄目押しをした国王がギロチンによって処刑されてしまったのはなんとも歴史の皮肉と言う他は無い。
でもそういうことがわからなくても、こういうパッサージュを通ると、人よりパリ通になったような気がして楽しい。アンティックな雰囲気の店、コージーでエレガントなティーサロン、盆栽の店も古くからある。BONSAI(ボンザイ)はもうフランス語になっていて、シックなパリジャンは盆栽を収集している。古風な文房具店もあり羽ペンや、手紙を封印する為の蝋を扱っていたりしてそういう店を冷やかして歩くのも楽しい。 |
ジャック・ルイ・ダヴィッド 作
《マラーの死》 |