文化の都パリは健在!様々な文化が同居する
パリはミックスカルチャーのメルティングスポット。




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 

他のパリで出かける
2012.07
ウジェーヌ・アジェのパリ展
2012.07
ヘルムト・ニュートン展
2011.11
セザンヌとパリを探る
2011.01
都市旅行 ルイ・ヴィトンとパリ展
2010.9
モネを訪ねて ジヴェルニー
2010.3
藤田嗣治 生涯最後の住居兼アトリエ
2009.12
オランダ 黄金の時代
2009.12
ロートレックへのオマージュ
2009.10
パリ、ドイツ占領下のモード 1940 - 1944
〜ジャン・ムーラン美術館〜
2009.8
アンリ・カルティエ?ブレッソンの世界
〜ヨーロッパ写真館〜
Henri Cartier-Bresson :a vue d'oeil
2009.4
アンディ・ウォーホルの “社交界”
〜ポートレート・シリーズ〜
Le Grand Monde d'Andy Warhol
2009.01
パリのガザ連帯のデモ
2008.11
パリでたどる、民藝運動の軌跡《 L'esprit Mingei du Japon : de l'artisanat populaire au design 》
2008.10
めくるめく恋の高揚感、CHAUMET 《 Le Grand Frisson 》
2008.10
日仏交流 150 周年特別企画展
2008.9
ヴェズレーで聴く ベートーヴェン
2008.3
クリスチャン・ラクロワ、モードの歴史
2008.1
モード・パリ 狂乱の時代 1919 - 1929
2008.1
シャイム・スーティン展
2007.12
グラン・パレ
「デザイン対デザイン」展
2007.11
最後のロマン派画家
ジャン=ジャック・エネール展
2007.10
Les heures chaudes de Montparnasse モンパルナスの熱い時
2007.09
ピエール&ジルの世界「Pierre et Gilles double je 1976 - 2007」
2007.08
彫刻家ロダンとニッポン「Le Reve japonais にほんのゆめ」
2007.07
ラリック美術にみるジャポニスム  ルネ・ラリック展 〜類稀なる宝飾の世界〜
2007.06
ヌーヴォー・レアリスムとパリの街  〜グラン・パレ「Le Nouveau Realisme」展〜
2007.05
リンチ・ワールドへようこそ  ―デヴィッド・リンチ 《The Air is on Fire》
2007.04
楽しく現代アート 〜Fischli & Weiss フィシュリとヴァイス展〜
2007.02
歴史博物館を楽しもう!〜カルナヴァレ美術館〜
2007.02
印象派に愛されたグランド・ジャット島
2007.01
ボブールにタンタンが来た
2006.08
オペラ座
2006.04
サント・シャペル
2005.12
ベルシー地区2
2005.11
ベルシー地区1
2005.09
新しいシャンソニエ
2004.11
永遠のアイドル
2004.09
プロムナード
2004.04
シネマRock 'n' Roll avec JB
2004.02
エクスポジッション
2004.01
シネマ L'enfant au violon
2003.12
エクスポジッション
2003.11
シネマ Le divorce
2003.09
ル・クアチュオール
2003.05
エクスポジッション
2003.02(2)
シネマレビュー
2003.02
シネマレビュー
2003.01(2)
シネマレビュー
2003.01
シネマレビュー
2002.12
エクスポジッション
2002.9
エクスポジッション
 
 2006.08
オペラ座
 オペラ座は、現在バスティーユ広場にある新しいものと、19世紀にシャルル・ガルニエが設計したものと二つあり、今回御紹介するのは、勿論贅を凝らして作られた19世紀の方である。数年前に外装が一新され、去年の6月に内部の改装が終わり、当時を彷彿させるオペラ座を、是非皆さんに見学していただきたいからである。

 オペラ座はルーブルからオペラ通りを上りつめたところにあり、メトロは勿論「オペラ、Opera」。バスティーユとの混同を避ける為、こちらはオペラ・ガルニエと呼ばれる。オペラ・ガルニエはナポレオンV世の命によって作られたもので、オスマンによるパリの都市改造プロジェクトの一環である。それ以前は、ペルティエのオペラ座がもう少し東側にあった。1858年にそのオペラ座に皇帝の一行が着こうとした時に、オルシーニというイタリア人に襲われたのだ。馬や人間が巻き添えにあい死んだが、皇帝は助かった。身の危険を感じたナポレオンV世(あのヨーロッパを席捲したナポレオンの甥に当たり、皇妃ジョゼフィーヌにとっては孫にあたる。上院議員だった1952年にクーデタを起こして皇帝になってしまった)は安全性を念頭に置いたオペラ座の建築と、自分の住んでいるチュイルリー宮から、まっすぐに最短距離でいける安全な広い通りAVENUE de l’OPERAアヴニュー・ドゥ・ロペラ(オペラ通り)の建設を命じた。アヴニューというと並木道が一般的だが、オペラ通りはその限りではない。その理由は場所が狭かったから、というよりはなるべく危険を避ける為の方策であったろう。一般公募をして、161のコンペ作品から当時は無名だった35才の少壮建築家シャルル・ガルニエの案が選ばれた。

 彼のプランは正面が一般用、側面が桟敷席を持っている会員(鍵を所有している)用と、もう一方の側面はナポレオンV世用の特別入口と三つの入口を併せ持ったものである。完成までに15年、間には対プロシア戦争があり、ナポレオンV世は退位させられた。あのように念を入れて、暗殺者の危険を避けるための特別入り口まで作らせた、そのオペラ座の落成に、彼は出席できなかったのである。こけら落しにはマクマオン大統領が出席した。当初の予算の2.5倍をかけて豪華に作られた、鉄骨を使ったモダンな建築であるが、そういう当時の先端のテクノロジーを感じさせない昔風の建築スタイルで、いろいろな時代のスタイルをとっているので折衷様式(エクレクティック)と呼ばれる。
正面のドームの上は音楽の神、アポロンが竪琴をかざしている。両側の金ぴかの彫刻は、音楽家にインスピレーションを与える芸術の神ミューズ(ギリシア神話ではムーサ)でしゃちほこではないので念の為。ルイ14世が1669年、国立音楽アカデミーを説立したのでその銘も描かれている。群像彫刻では右から二番目のカルポー作、「ダンス、舞踏」が傑作で、現在オリジナルはオルセー美術館にあるため、オペラ座に置れているものはポール・ベルモンド(俳優J.P.ベルモンドの父親)作のものである。

 中に入ると、17,18世紀に活躍した作曲家達の彫刻が昔風のいでたちで私たちを迎えてくれる。
私たちは、大階段に目がくらんで、すぐ上に行きたくなるが、ちょっと下に降りてみよう。
階段の真下の所には、カスティグリオーネ夫人作のピュティアの彫刻が置かれている。その当時は噴水になっていたようで、興奮して熱くほてった頬を冷やしたりするのに役立っただろう。
その下の奥は、馬車で乗りつけた会員たちが、一般の人と混じることなく開演を待った所。その地下には大昔のセーヌ川支流のあとがあり、その治水の為にガルニエは苦労したらしい。その為に二年かかったが、その地下水が『オペラ座の怪人』(ガストン・ルルーの小説、後にミュージカルにもなった)でも効果的に使われている。ちなみに、この物語は勿論全くの事実ではないが、実際に起こった事件やエピソードをうまくまとめて、あのような怪奇ものに仕立てられたようだ。


  さて大階段であるが、私はこの階段とその上のバルコニーにガルニエは一番神経を使ったと思う。なぜなら、この部分は表玄関であり、また観客自身が舞台を演ずるテアトルだからである。19世紀の人たちは正装して観劇したので、女性たちは衣装で研を競った訳だが、長いドレスがトレーンを引く様が絵になるのが正にこの大階段である。ボルドーのグラン・テアトルは18世紀にヴィクトール・ルイによって作られた傑作であるが、その階段からインスピレーションを得ている。が、それよりずっと壮大でゴージャスある。階段も広く人像柱照明も装飾効果満点。手すりはオニキスで出来ていてバルコニ−の手すりに伸びている。もうお分かりと思うが、相撲や歌舞伎と同じようにオペラ座は社交の場であった。だからここで人々は挨拶し、会話を交わし、交渉を取り付けたりしたのである。だから夫人達はバルコニーでオペラグラスを傾けながら、階段を上ってくる女性の髪型やアクセサリー、ドレスの流行などを細かくチェックしたのである。バルコニーは大きく階段を囲むような形になっているが、これは中の観客席と同様である。

 観客席の形式は、伝統的なイタリア式という、舞台を大きく丸く囲むような形で、これも半分は、観客が舞台を見るより、反対側の観客席から見られることを表わしている訳で、ここでも観客が現在よりも見られる役割を果たしていたという証拠である。それに丸くなっている方の桟敷席は、ちょうど相撲の升席のようになっていて、6席から8席あり、会員は年を通して席権利を有していた為、鍵も所持していた。要職の会員は、遅れてやって来る事もあったろうが、そういう時も、他の観客の邪魔をせずに自分の席に着けた訳で踊り子やダンサー等を囲っていた会員達はそこで密会ということもあったであろう。現在の天井は、ド・ゴール時代にアンドレ・マルローがシャガールに依頼して製作されたもので、シャガールらしく明るい色彩の中にバレリーナや凱旋門やロバなどが夢の中のイメージのように描かれている。シャガールの天井を見ようとしてオペラ座に来る人が増えたという。今でもこの天井を見る為だけにオペラ座を訪れる方も多いが、いつも見られるとは限らない。しばしば準備や稽古の為に閉められてしまう。

 でも幕間のときにシャンパンを飲んだりしたギャラリー(フォワイエ)に行けば、貴方も満足するはずだ。53mの長さはヴェルサイユの鏡の間には及ばないが、改装されたばかり、というのがよく分るのがここである。2kgの金が使われて一新された。音楽を表わす天井画、トロンプ・ルイユの鏡、まわりの金箔と調和した色のドレープをふんだんに使ったカーテン。モダンな劇場では味わうことの出来ないゴージャスなノスタルジー効果は満点である。天井画の一隅にはガルニエの肖像も。周りには人頭彫刻が壁沿いに並んでいるが、端のほうを見ていただきたい。電気線のスパイラルを首に巻きつけた女神像があり、最新テクノロジーであった、電気というものに対してオマージュをささげている訳である。バルコニーからフォワイエに続く廊下部分も、贅を凝らしたモザイクで出来ていて圧巻である。自分を当時の観客にイメージすれば楽しさが2倍になる。

大階段

桟敷席

シャガールの天井

フォワイエ

女神像
 注意していただきたいのは13:00まではほとんどいつも見学できるが、観客席の方はいつどうなるかわからないということだ。マチネー(昼間興行)がない時のみ10::00から16:30まで。一番いいのは興行を見ていただくことである。バスティーユ・オペラが出来てしまった一時は、殆どの興行がそちらに行ってしまったのだが、それでは贅を尽くしたオペラ・ガルニエが寂しい、というのでバレエなどの、大掛かりでないものが時々催されることになった。
やはりオペラ座は開催されて、初めて生きたものになる。ガルニエもそう言っていた。2000以上ある席の半分近くが、全体を見渡せない席である。舞台の脇に陣取った人は、舞台の真下の部分が見えないことになる。上の方(一番上はパラディ、つまり天国のことだが天井桟敷と訳す)は安いので予算の限られている方も大丈夫。シャガールの天井も観られる。因みに、オペラシーズンは9月から6月まで。7月14日の革命記念日に行われる催しは無料。

Opera Garnier:見学、10時―16時30分、無休(ただし突然閉館することもある)
料金:8ユーロ、60歳以上または学生4ユーロ、10歳以下無料

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