年末からヨーロッパのテレビニュースのトップはいつもイスラエルのガザ空爆。日本でも大晦日に抗議デモがあったらしいが、1月3日朝のテレビで「今日はロンドン、パリはじめ各地で大掛かりなデモが予定されている」と言ったので、私も急遽参加することにした。
15時レピュブリック広場の共和国記念碑前。主催は労働運動団体だったが、参加者の大半はアラブ系で、アラファトがつけてパレスチナの象徴になったあの段だら模様のスカーフを首に巻いたり、頭につけたり、体に巻きつけたりしている人が多い。食べ物屋台でメルゲスや肉の串刺しを揚げ、色とりどりのピーマンを付け合せにしてアラブ風サンドイッチを売っている人たちもこのスカーフをつけている。もしかしたら売り上げはパレスチナへの連帯活動に使われるのかもしれない。
イスラエルの旗が燃されて行進が始まる。突き詰めたような表情をしたおばあさん達の参加が目立つ。肩車されてプラカードを掲げている幼子たち、乳母車を押している父親や母親、必死に「ガザ、ガザ、私たち皆貴方の味方」とシュプレヒコールを叫んでいる女学生たち、イスラムのスカーフをかぶった女の子たち、大きなパレスチナの旗を振る若者たち、手作りのプラカードを肩から下げたり手に掲げたりしているおじさんやおばさんたち、アルジェリアやイラク、リビア、フランスの旗を連帯のしるしに振る人々、、、年齢も国籍も様々な参加者たちが、誰もがいたたまれない気持ちでひとつになって、歩いている。
シュプレヒコールが絶え間なく響く。「イスラエル、人殺し!」「ヨーロッパも共犯!」「虐殺をやめろ」「フランスのメディアは真実を伝えろ」「ガザは生き残る」」「ガザ港で、ガザの地で、抹殺されているのは人間性そのもの」。日本の春闘のデモとは比較にならない、悲痛さを伴った心の底からの叫び。中でも一番多く、もっとも共感をもって繰り返されたのが「ガザ、ガザ、私たち皆貴方たちと一緒」と、「私たちは皆パレスチナ人」。
ブッシュの靴にちなんでプラカード代わりの靴も散見される。手作りのパンフを配る人々もいる。署名して投函するようにつくられたフランス大統領への手紙も配られた。もらってコートに貼り付けた黄色いワッペンには「戦争で死の商人は金儲けをする」と書いてあった。
デモはルイ14世が建てた2つの凱旋門、サンマルタン門とサンドニ門を通って、パリの古い町並みを貫いて走っている大通りを進んでいく。沿道の人々もデモに呼応して、旗やスカーフを掲げたり、手を振ったり、一緒に歩き始めたり、、、イスラエルの軍事侵攻に対する市民の怒りの大きさを肌で感じられる。建物の窓からも、手を振る人、段だら模様のスカーフを振る人、ベランダに懸けて連帯を表明する人々、、、その度にデモ隊からも歓声が上がる。
オペラ座と、年末の派手なイルミネーションに飾られたギャラリーラファイエットやプランタンデパートの間の大勢の人に溢れる目抜き通りを過ぎて、目的地のサントーギュスタン広場に着いた時は5時を回っていた。幸いお天気は好かったけれど、体がすっかり冷え切ってしまった。おばあさんたちや杖を突いて参加していた人たちにはこの寒さはかなりこたえたのではないだろうか?マイクで、10日15時にもレピュブリック広場からデモがある、とアナウンスがあって解散。
でもイラク戦争の前にもあれだけ世界各地で大きなデモがあったが阻止できなかった。このデモは本当になんらかの結果をガザの人々にもたらすことができるのだろうか、などと考えながら家に帰ると、テレビでイスラエルの地上部隊のガザ侵攻を報道していた。途端に、2日前イスラエル外相がヨーロッパを訪問してサルコジなどと会談していたのが思い出された。そうか、あれはこの根回しで、ヨーロッパの黙認を取り付けるためだったのだ。ついさっき聞き続けた「ヨーロッパも共犯だ」「サルコジも共犯だ」というシュプレヒコールがよりいっそうの現実味を帯びて頭の中で鳴り響いた。
箱山富美子 |
肩車の少女
犠牲者を形どった人形。おばあさんたちの参加が目立つ
靴を掲げる子供
沿道のおばあさんも旗を振って連帯表明
手作りゼッケンを背に声を限りに怒りをぶつける |